視角/ 丸山重威 (関東学院大学教授) (JCJジャーナリストより転載)13/05/18

 

「中立とは」

 

 「侵略の定義は国際的に定まっていない。歴史の判断は歴史家に」(安倍首相)「慰安婦は日本だけでなく、いろんな軍にあった。当時は必要だった」(橋下大阪市長)―。お馴染みの発言だがまだ「擁護派」がいる▼「歴史家にはいろんな意見がある。侵略ではない戦争もある」とか、「売春は形は違うが今でもある。軍に必要だったのは本当だ。今もセックス労働者の権利を守る運動もある」という▼「どちらの発言も学問的な論議ではない。要するに侵略は認めたくない、慰安婦も認めたくない、かつての戦争は間違っていない、という正当化のための議論だ」との反論には「不適切かもしれないが、間違ったことを言ってはいない」などとも…▼違うなと思うのは、マスコミがよく使う手法だが、込み入った問題では、自分の考えを話すのは避け、両方の意見を並べ、「中立」とか「冷静」だとか考えるものの見方と思考方法だ。問題になっているのは、学問の世界の議論ではなく、「いまの社会・政治の在り方」だからだ▼そう考えると「中立」とか「客観的」とか言われるものや、メディアの扱いに、落とし穴がいっぱいあることに気づく。「橋下発言」は「4・28」や基地問題同様、沖縄や韓国、中国に限定した問題ではないし、原発事故も、福島だけのことではない▼メディアの社会的役割は、「他人事」を「自分のもの」として受け手に考えてもらうことだ。橋下さんには、自分の母や妻や娘が慰安婦になることを想像し、それを自分がどう考えるかの真摯さがほしいのだ。