連載」亀井淳/「笑う犬」週刊誌ウオッチ(4)/憲法問題なんてない−「冷笑系」週刊誌の誕生/06/05/15          !                                    


憲法問題なんてない−「冷笑系」週刊誌の誕生

亀井 淳

 

「メディアは憲法記念日をどう報じたか」というタイトルの検証シンポジウム(マスコミ九条の会主催、5月23日〔火〕18;30、岩波セミナールーム)に、新聞、テレビと並んで「週刊誌(雑誌)」の分野を担当して報告せよ、とのご要請である。

 せっかくだが、「憲法」というタイトルがつくと、雑誌は売れない。したがって、週刊誌は憲法を扱わないでしょうと答えた。戦後60年の昨年もそうだったし、もっとずっと前からそうなのだ。「週刊金曜日」や月刊誌の「世界」なら必ず扱うし、右からは「諸君!」や「正論」が取り上げるだろうが、一般市民に影響力があるのはなんといっても一般週刊誌だ。

 そこが無視を決め込んでいる。なぜだろう。もしかしたら週刊誌にとって「憲法」とか「改憲」はもうとっくの昔に「済んで」しまったテーマなのかもしれない、という視点で分析してみましょうということで出演を引き受けた。 

私の週刊誌分析はかなり偏っている。それは新聞社系や女性誌を含めて数ある週刊誌群のうち、どうしても「週刊新潮」が視野の中心になってしまうということだ。その理由を語り出すと長くなるが、要するに私自身が創刊時から21年間も「週刊新潮」の内部にいて、その巧妙さやインチキぶりを含めた発想、手法のほとんどを熟知していること、また「週刊新潮」登場以来のこの50年間に、新聞社系を含めたほとんどの週刊誌が「週刊新潮」的になってしまったということを実感しているからだ。

 週刊誌だけでなく、月刊誌も、あるいは新聞、放送も「週刊新潮」化したと思う。そのポイントを一つだけいうと、「売れる」(面白そうな)ネタはいくらでも扱うが、「売れない」(面白くない、面倒くさい)ネタは排除するということだ。

 そこで、分析の手がかりとして、3月のこの欄でもちょっと触れたが、創刊50周年ということで「週刊新潮」自身が復刻した創刊号(1956年=昭和31年2月19日号)の記事を利用する。

 同号の時事コラムに、「不思議な憲法改正反対論」というタイトルの短い記事がある。どういう記事かというと、憲法学者の田畑忍氏らが近く訪米し、日本占領の最高司令官であったマッカーサー元帥(当時健在)に会って、日本国憲法は占領軍によって押しつけられたものではなく、当時の幣原首相らの平和主義の要請を元帥が受け入れて成立したものであるという経緯を確認する意向だ、という新聞報道があった。しかし、マッカーサーの「ノート」などから見ても、「実質的には占領軍当局から押しつけられたものである」。現在国内の論議は、「押しつけられたものだから改正」と、「押しつけられたものであっても平和主義、戦争放棄論に賛成だから改憲は不必要」の二つの流れが、「対立しているだけのことなのだ」

 この「だけのことなのだ」が結論である。記事はどっちの肩を持つわけではない、というポーズをとっている。しかし、タイトルは「不思議な憲法改正反対論」で、改正反対論、つまり擁護論を「不思議」としているのだ。田畑氏らの意図、努力を軽く揶揄しているともいえるだろう。

 この創刊号が出る3ヶ月前の1955年11月に保守合同が成立して「自由民主党」が生まれ(いわゆる55年体制)、改憲を標榜する第3次鳩山一郎内閣が発足している。その前には立川の米軍基地拡張をめぐって反対の学生らと警官隊が激突し、原水爆禁止を求める第1回の世界大会が開かれている。二つの大きな流れが鋭く対立する中で、学者らの護憲の動きを「不思議」と見くだし、「だけのこと」と多寡をくくっている。

「週刊新潮」創刊号の誌面に戻る。改憲問題に次ぐ第2のテーマのタイトルは、「いじらしい紀元節」とある。創刊号の発売日は2月11日に近く、「紀元節」復活の賛否が論議されていた(2月11日が「建国記念日」になるのはそれから11年後の1967年である)。杉並区は区教委の主催で「紀元節をしのぶ講演と映画の会」を予定し、神話映画『天の岩戸開き』などを上映する。中央では神社本庁、生長の家などが中心で日比谷公会堂に集まった後、警視庁、自衛隊の音楽隊を先頭にパレードをする。

 これには「週刊新潮」もいささかうんざりという気分をほのめかし、結びの部分は、「ことしの二月十一日は皮肉なことに土曜日、『紀元節』が復活していると、二日続きの休みになるところだった」と、サラリーマンの休日願望を紹介して「いじらしい」というタイトルに結びつけているのだ。

 これが「冷笑系」週刊誌の原点だ。対立する論議にはけっして深く立ち入らず、高みの見物をしながらやりすごす、あるいは真剣な論調に水をかけるという編集態度をとり、それがやがて「無視」になったり、時に右スタンスからの無遠慮な罵声になったりする。するとそれが何となくカッコウがいいとか、垢抜けているなどと受け入れられて今日に至っている。こうした、問題の中心から身をかわすジャーナリズムが、この50年間に他の多くのメディアにも浸透して行った。

 その結果が、今日のメディアの対憲法の態度であると言えるのではあるまいか。