齊藤園生(弁護士・さいとう法律事務所)この国はどこに行くのだろう―日の丸・君が代訴訟を巡って―09/01/02
齊藤園生(弁護士・さいとう法律事務所)
すでに多くのメディアで報道されているが、近年学校現場では日の丸・君が代の扱いについて、教育委員会はかなり強硬な扱いを現場に強いてきている。きっかけとなったのは平成元(1989)年学習指導要領改訂で、従来式典での日の丸掲揚、君が代斉唱が「のぞましい」とされていたのが、「指導するものとする」と改訂され、さらに平成11(1999)年国旗国歌法成立で日の丸・君が代が「国旗・国歌」とされてからである。
東京都では、平成15年10月23日東京都教育委員会通達で、入学式・卒業式には、壇上左に日の丸、右に都旗を飾り、そのほか壇上には他の装飾は一切許されなくなり、「国歌斉唱」の発声のもと、教職員は起立しなければ「職務命令違反」として、懲戒処分の対象とされることとなった。
区市町村教育委員会は区市町村立学校に責任を負い、本来、都教委とは全く別個独立の組織として独自判断ができるはずなのに、まるで「右へ習え」というように、都教委通達と全く同様、ほとんど一言一句違わない市教委通達を出した。
通達以前は、壇上正面には卒業生の卒業制作作品が掲げられ、式場には卒業生、在校生の工夫を凝らした飾り付けが飾られ、まさに手作りの心温まる式場設定で、君が代斉唱に当たっては「立たない自由」の説明もあり、実際立たない教職員も生徒もいた。だからといって、立たない人を誰も批判もしなかった。
しかし、通達後は、正面に日の丸と都旗(区市町村立学校では区市町村の旗)だけが掲げられ、周りには紅白幕が張り巡らさた式場で、「立たない自由」の説明はなくなり、少なくとも教職員は起立して、君が代斉唱を行わねばならない。教職員は立たなければ「校長の職務命令に違反した」として、地方公務員法の「信用失墜行為」を侵したとして、懲戒処分を受けるのである。
多くの教師たちは、学校現場にこんな強制を持ち込むのはおかしいと思っている。しかし、懲戒処分で最後は職を失うと脅かされれば、起立せざるを得ない。生徒たちも、手本となっている教師たちがみんな起立する中で、次第に起立するのが当然と受け止めるようになる。
その結果、今や全都の公立学校では、日の丸に向かって、みんなそろって起立し、君が代斉唱を行うという現象が広がっている。教育委員会のねらいはまさにこの点にあったのだろう。子どもたちが何の抵抗もなく、疑問もなく、日の丸に向かって君が代を歌える、日本という国を誇りに思う、これこそ未来の日本人の正しい姿だ、というわけである。
多くの教師たちが、起立の義務がないことの確認や、不起立による懲戒処分の取り消しを求め訴訟を戦っているが、現状はあまりに厳しい。私も不起立をして懲戒処分になった3人の中学の先生たちの事件を担当し、12月末に第1審東京地裁の結審を終えたばかりである。私はこの訴訟を通じて今の教育を巡る状況は、実に恐ろしい地点にきていると思う。
第1点は、教育行政の右転落のあまりの激しさである。戦後教育の出発点は、教育に国や行政は口を出さない、できる限り現場に任せ子どもたちの自主性を尊重する、という点にあったと思う。
昭和26(1951)年、当時の文部省は学習指導要領(試案)で、何より子どもたちの自主性が最も重要だとして、「特別教育活動は生徒たち自身の手で計画され、組織され、実行され、かつ評価されねばならない。
もちろん教師の指導も大いに必要ではあるが、それはいつも最小限度にとどめるべきである。このような種類の活動によって生徒は自ら民主的生活の方法を学ぶことができ、公民としての資質を高めることができるのである」と述べている。
50年以上を経た今、文部省にも教育委員会にも、このような姿勢は全くない。教育委員会が学校現場に口を出して何が悪い、といわんばかりである。そして日の丸・君が代の歴史的役割を無視し、何の疑問もなく「お上」のいうとおり従順な子どもこそ、いい子なのだという。まるで戦前教育と同じではないか。
第2点目はこのような問題提起に、司法があまりに弱腰であるという点である。ここ数年、日の丸・君が代の強制を巡って、多くの判決が出されているが、これらの判決の多くが、「公務員なんだから君が代斉唱時に起立することくらいで文句言うな」という内容なのである。そして教師たちが一番心配している、子どもたちへの影響については、ほとんど考慮さえしていない。
日の丸・君が代が戦前、戦中どんな役割を果たしてきたのか、子どもたちの前で教育委員会が命令して、一律の取り扱いをすることが、子どもたちの判断にどう影響するのか、それが教育にとって望ましいのか、司法こそもっと積極的に判断すべきではないのか。
司法が沈黙を決め込まないように、国民の世論が不可欠である。しかし残念ながら、こういう世論はあまりに小さい。
このままではこの国はどこまで行ってしまうのだろう、本当に戦前と同じように、官製教育が全国に広まってしまい、子どもたちの頭まで国家が支配する時代がまた来るのだろうか。私はとても心配なのである。
以 上