久保木亮介(弁護士・代々木総合法律事務所)/9条世界会議でベートーヴェン「第九」をうたう / 08/04/01 ![]()
皆さんは、5月4日・5日に千葉の幕張メッセで開催される「9条世界会議」をご存知だろうか。
戦争や武力紛争の廃絶のために活動している国内外の来賓を招き、講演・パネルディスカッション・分科会・ワークショップ・音楽等さまざまな形で、憲法9条の持つ世界的・普遍的な価値を検証していこうという、国際的ビッグイベントである。
4日の全体会のエンディングでは、市民と弁護士によって結成された合唱団がベートーヴェンの「第九」をうたう(午後3時ころの予定。オーケストラは東京ニューシティー管弦楽団、指揮者内藤彰氏)。
私は、現在「第九」実行委員として毎週の練習会の下準備をし、合唱団ニュースを発行し、カンパを集めたり、大忙しの事態に陥っている。すでに合唱団員は320名を超えているが、現在も、参加希望の問い合わせが相次いでいる。正直、ゴールデンウィークの最中に幕張まで出向いて「第九」を歌いたいという人が、こんなに大勢いるとは予想していなかった。「9条」への思いの強さか、それとも「第九」そのものの魅力なのか。
私も「第九」を歌うのは初めて(というより、合唱自体が中学生以来はじめて)であるが、「第九」の歌詞とメロディは独特で、合唱の最中に変な高揚感に襲われることがある。
ナチスが国民統制と戦意高揚のため音楽を重視したのは良く知られており、1942年にヒトラーの誕生日を祝うためベルリンフィルが「第九」を演奏している映像をYoutube等の動画で見ることができる(指揮はフルトヴェンクラー、但し彼自身は反ナチスだった)。
ただ、第九の「歓喜によせて」の歌詞は、Alle Menschen werden Brueder(全ての人類が兄弟となる)など、人類愛がベースになっている。少なくとも、人種や宗教で境界線を引いて、一方が他方を排除・抹殺するような思想とは無縁だ。「第九」は、ヒトラーのため(あるいはブッシュのため)にではなく、憲法9条のために歌われるのに相応しい内容を持っていると思う。
いかなる理由(たとえば「テロとの闘い」、たとえば「イラクの民主化」)を付そうとも、戦争は結局のところ人間の生存そのものの否定である。国際法上、戦争の違法化と戦争に伴う残虐行為の犯罪化が進んできたのは、戦争が人間の前提を奪うものである以上、当然のことだ。武力の行使自体を国家に禁じる憲法9条は、進むべき方向を先駆している。多くの法律家が、「憲法9条はなくさない」の一点で大同団結すべきだし、またそれは可能でもあると感じている。
実際、合唱団に参加者し、あるいはカンパを寄せてくれる法律家の方々は、実に様々である。元判事・元検察官の方もいれば、労働事件などでは法廷で反対側の席(私はもっぱら労働者側で現行席に座ることが多い)に座る弁護士の方々も多くおり、これは実に嬉しいことだ。多くの市民と法律家が、ともに「第九」を歌うことを通じて、憲法9条の普遍的な価値を強くアピールしてゆければと思う。
先ほど、大忙しの状況を嘆いてみたが、よく考えれば、この忙しさを結構楽しんでいるともいえる。
私は、現行憲法、とりわけ第9条(戦争放棄、さらには戦力保持・武力行使の禁止)の理想に、現実を少しでも近づけてゆきたいという思いを持ち続けている一人である。が、弁護士になってからは、もっぱら憲法についての学習会や講演会の講師として、壇上から参加者に、現在の改憲状況、海外派兵のための諸法案の内容、それと憲法9条との関係について法律家として「解説」するという形でしか、この問題に関わってこなかった。
むろんこうした講演活動は、法律家でなければできない部分もあり、講師として必要とされることは有難くもあるのだが、同じことをずっとやっていると、正直飽きてくる。参加している個人・団体も、いつも同じような顔ぶれということも珍しくない。常に、不正確にならないよう、間違いを言わないよう、レジュメや資料を準備し、言い回しを考え、メモを作成したり、といろいろ神経を使うのも辛い。
考えてみれば、法律家になる以前から、私は戦争が嫌いだったし、もっともらしい「正義」の名の下に他国に戦争を仕掛ける権力者や、それを常に支持するテレビ向けの御用学者の類(たぐい)が大嫌いなのであった。それで、学生時代は、海外派兵法案を批判するビラを作って友人達と一緒にまいたり、軍服を着て渋谷の街頭でパフォーマンスをしたりと、好き勝手に「反戦活動」をやっていた。
そこで、当時のことを少し懐かしく思い出しつつ、少し自分を「講師活動」から意識的に解放して、大勢の人たちと一緒に歌うことで、平和をアピールできないか(できたら気持ちいいだろう)というのが、今回実行委員を務めている主な動機である。
もちろん、マスコミにも注目してもらえるような、効果的でインパクトのある活動を、ということも考えながらやっていきたいと思っている。