伊藤成彦/文芸評論家/改憲手続法の根本問題 / 07/01/01


改憲手続法の根本問題
                   

伊藤成彦 

この原稿は、9条連第8回全国総会での伊藤成彦代表の問題提起を要約したものです。
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私たちが護憲を貫こうとするとき、現憲法が現憲法を守るために備えているものをもう1度きちんと認識する必要があります。 
                              
 

▼フランス、ドイツの憲法  

 まず日本国憲法の前文が大事なのですが、その意味を分かっていただくために、フランス第五共和国憲法で憲法改正がどうなっているかをみてください。
 第89条〔憲法改正〕
 (5)共和政体は、改正の対象となることはできない。
 つまりフランス憲法を変えようとする場合、どのような手続きをとろうともフランス共和国を王政にしてはならないということです。共和制の変更は国民投票の対象にはできないということです。共和制の変更は改憲の範疇には含まれないと宣言しているのです。
 次に、ドイツ連邦共和国基本法を見ましょう。
 第79条〔基本法の変更〕
(3) この基本法の変更によって、連邦の諸ラントへの編成、立法に際しての諸ラントの 原則的協力、または、第1条および20条にうたわれている基本原則に触れることは許されない。
 第1条とは、人間の尊厳という条項です。「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することが、すべての国家権力の責務である」。人間の尊厳を侵害する改憲は、改憲の対象になりえないと定めているのです。
 第20条
 ドイツ連邦共和国は、民主的なかつ社会的な連邦国家である。
 ナチスは中央集権によってファシズム国家をつくっていった。その教訓として現在のドイツは連邦制をとっています。中央政府だけで勝手なことはできない。ドイツはラントと呼んでいます。日本の県よりも大きく、それぞれに首相をもち、教育、行政についても独自性をもっています。ベルリンに中央政府がありますが、中央政府がやっていることは外交と軍事です。しかし軍事にも制限があります。第26条〔侵略戦争の禁止〕という条項があります。2002年の秋、シュレーダー内閣のときに、アメリカからイラク攻撃への協力を求められ、ドイツ政府は侵略戦争には加担できないとはっきり言った。では侵略戦争と侵略戦争ではない区別をどこでするのか。ドイツの場合は、国連安保理事会が承認しない軍事行動には参加できないと決めている。しかもそれを破った場合、「侵略戦争への加担」として処罰されます。刑法にその処罰の規定があります。
                              

▼国民投票の前に考えるべきこと

 日本の憲法は、99条で天皇以下すべての公務員は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めています。しかし違反した場合の罰則がない。だから小泉前首相は違憲行為を次々に行った。イラクに自衛隊を送ったのも違憲です。罰則があれば首相が解任されます。そういう厳しい規定が日本の憲法にはない。
 すべての国が改憲の制限をしているわけではありませんが、フランスやドイツは制限がはっきりある。では日本の憲法はどうか。「国民が投票して決めるのだから民主的だ」という粗雑な理屈でやっていいかという問題です。憲法前文をしっかり読みましょう。
 先ず前文の冒頭部で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と述べています。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意」したのは誰でしょうか。主語は日本国民です。日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」して、主権は国民にあると宣言したので、ここでは2つのことを言っています。国民は政府に戦争の惨禍が起こることを許さないということを決意し、そのためには国民が主権者でなければならないということです。
 戦争をさせないということは、ただ「戦争をしない」という宣言だけではだめで、戦争をする道具を渡さないことです。だから憲法9条が、戦争放棄、武力行使をしないと同時に軍隊を持たないと、武力そのものを棄てたのです。前文のこの部分と9条は一体なのです。そしてその先です。
 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人 類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに 反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」
 憲法が憲法を排除するとは、改憲案はこの原理に反してはいけないということです。 「国民投票なら何でもいい」という人たちは、こういう視点を欠いているのです。さらに前文の第2節は、次のように平和的生存権を保障した宣言です。    
  「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚 するのであって、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持 し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会におい て、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏 から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 この部分を小泉前首相が悪用して、「名誉ある地位を占めたい」と自衛隊をイラクへ送りました。安倍晋三氏は『美しい国へ』でこれを「連合国に対する侘び証文」だと書いている。小泉前首相は、侘び証文を使ってイラクに自衛隊を送ったことになります。
  こういう風に小泉前首相も安倍現首相も、憲法の勝手な読み方をしていますが、素直に読めばそうは読めません。
  「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。これが平和的生存権の宣言です。フランス革命ははじめて人類の権利として人権を認知し、第1次大戦直後のドイツのワイマール憲法は社会的生存権を宣言して、社会保障が「上からのお恵み」ではなく市民の権利となりました。そして、人類の第3の基本的権利として、平和的生存権がここで保障されたので、人権、社会保障の権利、平和的生存権の3つの権利が人類が獲得した権利となったのです。この原理こそは憲法の原理で、この原理に反する改憲論は排除されると前文は言っているのです。
 しかし国会では、「各議院の議員の3/2以上の賛成で、国会が発議し」、国民投票では「過半数の賛成」で決めるという第9章〔改正〕だけを取り上げて、どんな方法が良いのかという議論をしています。もちろんそれも大事ですが、もっと根本的なことは、第10章〔最高法規〕が前文を受けてもう一度次のように述べていることです。
 第10章〔最高法規〕
 第98条、この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及 び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 前文の規定を受けてもう一度ここで念を押しているのです。ただ残念ながら日本の憲法には、フランス憲法やドイツ憲法のように、改憲の対象とはなりえない条項を明示する条項がないので、これらの限定を無視する態度が罷り通っているのです。では憲法学者はこれをどう見ているのでしょうか?
 憲法学者の辻村みよ子さんは、憲法改正限界論を取っています。憲法の変更には制定と改正があり、戦後の日本国憲法は改正という名のもとでの事実上の制定でした。形式的には明治憲法の「改正」ですが、明治憲法と根本的に異なるポツダム宣言に基づいたの、内容的には「新憲法の制定」でした。だから8月革命と言われたわけです。
 今、自民・公明政府が「改憲」というのは、制定でしょうか、改正でしょうか。「改憲」というからには「改正」ですが、その場合には現憲法の根本原理を変えることはできません。端的に言えば、主権在民、基本的人権、平和的生存権にかかわる条項は変えられないということです。従って自民党が発表している「新憲法草案」は明らかに違憲草案で、「改正」の範疇には属さず、この草案は憲法に反する革命、あるいはクーデターによる以外には実現できないということです。
 勿論、96条に基づいて改正手続法を作ること自体は違憲ではありませんが、その法には、現憲法の基本原理である主権在民、基本的人権、平和的生存権にかかわる条項(前文・9条など)は「改正」の対象となりえない、という限定が不可欠です。これが憲法改正限界論ですが、こういう根本的な議論が改憲手続法案の審議で全然行われていません。
 野党は改憲手続法の枝葉末節ではなく、先ずこの根本問題をこそ提起すべきだと思います。

 

伊藤成彦(いとう・なりひこ)


1931年石川県金沢市生まれ.東京大学文学部ドイツ文学科卒業後,同大学院で国際関係論,社会運動・思想史専攻.現在,中央大学名誉教授.文芸評論家.ローザ・ルクセンブルク国際協会代表.
著書に『「近代文学派」論』(八木書店),『共苦する想像力』『戦後文学を読む』(論創社),『反核メッセージ』(連合出版),『闇に育つ光』(谷沢書房),『軍隊のない世界へ』『ローザ・ルクセンブルクの世界』『軍隊で平和は築けるか』(社会評論社),『時評としての文学』『闇を拓く光』『9・11事件以後の世界と日本』(御茶の水書房),『武力侵攻からの脱却』(影書房)他.
訳書にローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』(論創社),ローザ・ルクセンブルク『ヨギヘスへの手紙』(共訳,河出書房新社),パウル・フレーリヒ『ローザ・ルクセンブルク』(御茶の水書房)他.