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2009

 

 

 

 

中村梧郎(フォトジャーナリスト)カリフォルニア大学での枯葉剤会議 ―写真展を受け入れたアメリカ、その変容―09/06/18


 

 

 

 

 

   カリフォルニア大学での枯葉剤会議


      

  ―写真展を受け入れたアメリカ、その変容―

 

 

 

 

 

 ロスアンゼルスはさつき晴れの毎日が続いていた。

 

 豚インフルエンザ 「Swine flu」 による非常事態が宣言されている地域だというのに誰一人マスク姿で歩く者などいない。 世界で騒いでいるのは日本ばかりだったから 「Tokyo flu」 の名をつけようかという話がささやかれたほどだ。

 

 ロスの東郊にあるカリフォルニア大学リバーサイド校 (UCRS) で5月7日から3日間、 大学の文化人類学と歴史学講座が中心となって枯葉剤会議 (Agent Orange Conference) が開催された。 そこに来て基調講演をやれという連絡があったのは昨年の末のことである。 私の枯葉剤写真展がカリフォルニア写真博物館で始まるのに合わせた国際会議であった。

 

 写真展はベトナム人写真家の記録やポップアート作品も展示されるもので、 個展というわけではなかった。 私の写真は2007年にMAGNUMフェスティバル参加作品に選ばれ、 ニューヨーク市立大学ジョンジェイ校で5ヵ月間続く展示となった。 以来、 テネシーなどいくつかの地域を巡回していた。

 

 日本で募金に応じてくれた多くの人の力で実現した写真展であった。 それにしても、 枯葉剤による被害を見せつける写真展を、 アメリカでやるのは難しかろうと言われてはいた。 だが、 アメリカの世論は変化し始めていた。

 

 オバマを大統領に選んだことにそれは象徴されてもいるが、 とりわけ、 イラクに対して 「フセインが大量破壊兵器を隠し持っており、 テロリストとのつながりもある」 という虚偽の理由で侵略し、 国を破壊してしまった戦争というものへの懐疑と失望の空気が市民の間に漂い始めていたのである。

 

 アメリカのNPO 「戦争の遺産プロジェクト」 のスーザン・ハモンドは 「アメリカが 『正義の戦争』 と呼んできた過去の戦争にいかほどの 『大義』 が存在したのか、 見直してみなければならないという動きがある」 と今日の状況を説明した。 ベトナム戦争もあらためて省みる対象となっているというのである。

 

 カリフォルニア大学の枯葉剤会議には各国の研究者や学者、 国務省の専門家、 帰還兵など多彩な人々が参加していた。 私への講演依頼は 「30数年にわたってこの問題を追求してきた者は他にいない」 というのが理由らしかった。 2時間ほどの報告の間に私はベトナムとアメリカ、 韓国などで撮影した大量の写真を用いながら、 ベトナムは兵士のみならず住民が頭上から枯葉剤を浴びたことを伝えた。 とりわけ婦人たちがダイオキシンにさらされた結果は、 おびただしい流・死産と先天障害の子供たちを生みだしたという事実を示した。

 

 アメリカでは、 ベトナムから帰還した兵士らに枯葉剤に起因する各種のガンや皮膚炎、 神経障害、 子供の先天障害が生じていることが確認され、 政府と化学企業による補償が行われてきた。 そうした事実はアメリカのメディアも詳しく報道してきている。 ところがニューヨークでの写真展を見にきた市民の多くが 「アメリカ兵が被害を受けたことはよく知っている。 だが、 ベトナムの人たちも被害を受けたのか?」 と驚いて聞いてくるのにこちらが驚かされたものであった。 米メディアはベトナムに対する加害の事実を国内にはほとんど伝えてこなかったのである。

 

 私は思い切って私の考えかたを枯葉剤会議の聴衆に伝えた。 「被害はベトナムのほうが何百倍も深刻である。 それに対する補償を米連邦最高裁が今年2月に最終的に拒んだのは客観的に見て不当である」 「アメリカがベトナムで行なった枯葉作戦は明らかに戦争犯罪といえる」。

 

 そして私はオバマ演説を引用しながらこうしめくくった。 第2次大戦後の歴代米大統領は 「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は正しかった。 それによって何万という米兵の命が失われずに済んだのだから」 といい続けてきた。 だがオバマ新大統領は違った。 「最初に核を使用した国の道義的責任として、 核廃絶を目指す」 とプラハで述べている。 すばらしい演説である。

 

 ところが、 フロリダのエグリン米空軍基地には現在も、 ベトナムで枯葉作戦を行ったC-123散布機が展示されていて、 その脇にはブロンズ製の顕彰碑がある。 そこには 「枯葉作戦は崇高な作戦であった。 それによって何万というアメリカ兵の命が失われずにすんだのだから」 という文字が刻み込まれている。 いかなる残虐兵器を使おうと 「正しかった」 としてしまうこのような思想とは決別すべき時がきたのではないか、 と。

 

 そのとたんに劇的な事態が起きた。 会場の人々が立ち上がりスタンディング・オベイションとなったのである。

 

 会場にはいろんな立場いろんな考え方の人が居たはずである。 その人々がこうした反応を見せた。 言うべきことを言って良かったと思った。 アメリカは変化しているとも感じた。 この国の懐の深さに触れるとともに、 写真や言葉や、 さまざまな手段で臆せず働きかけることに充分意味があることを知ったのであった。

 

 今後も全米各地で写真展が巡回展示されることを期待している。 そのつど、 必要とあれば行かなくては、 とも考えている。

 

 2009/06/10  中村梧郎

 

 

 
 カリフォルニア写真ミュージアムでのAgent Orange 展
基調講演の中村(ボケています。すみません)                        
写真ミュージアム外景

カリフォルニア大学(UCRS)でのパネルディスカッション風景(中村は写っていない)

 

 

 

 

 

 

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