高橋邦夫/映演労連フリーユニオン委員長・映画人九条の会事務局長/「自衛隊協力映画&番組」の急増をどう考えるか 13/07/10

 

        「自衛隊協力映画&番組」の急増をどう考えるか

高橋邦夫(映演労連フリーユニオン委員長/映画人九条の会事務局長)

 今年4月中旬から下旬にかけて、自衛隊が全面協力する映画が2本、全国公開された。
  1本は、4月20日から公開された長編アニメ「名探偵コナン 絶海の探偵」で、コナンたちが体験航海で乗り込んだ最新鋭のイージス艦「ほたか」に、「あの国」のスパイが潜入していた、という映画である。イージス艦の高性能ぶりや国防の重要性などが随所で語られ、ゲスト主役の「藤井七海」(声・柴咲コウ)は、なんと国民を監視することが任務の自衛隊情報保全隊のエリート隊員という設定だった。また、アニメにもかかわらずエンディング・タイトルバックには実写のイージス艦「ほたか」や海上自衛隊員たちが登場し、自衛隊協力映画であることが強調されていた。全国344スクリーンで公開され、興収35億円(観客数約300万人)を上げてコナンシリーズ最大のヒット作となったようだ。
  もう1本は、4月27日から全国311スクリーンで公開された実写版の「図書館戦争」である(最終興収予想16億円台)。自衛隊好きで知られるベストセラー作家・有川浩原作の映画化で、あらゆるメディアを取り締まる「メディア良化法」が施行され30年が過ぎた正化31年(2019年)、「読書の自由」を守るために戦う自衛組織「図書隊」(自衛隊にそっくり)の若者たちの成長や恋を描いた映画だが、「国民の人権や未来は図書隊が守る」というセリフが何度も出てくる。「図書隊」を「自衛隊」に置き換えてみれば、自衛隊が全面協力した意図が見えてくる。

  この2作品には、いずれも大手メディアが製作委員会に加わっているのが特徴だ。
  また、驚いたことに地上波テレビのゴールデンタイム、TBS系の「日曜劇場」で、4月14日から連続テレビドラマ「空飛ぶ広報室」(全11話)が放送された。「空飛ぶ広報室」は、「図書館戦争」と同じ有川浩の原作で、航空自衛隊の広報室そのものがドラマの舞台だった。もちろん防衛省、航空自衛隊の全面協力だ。毎回、広報室がマスメディアに熱心に(執拗に)営業をかける姿が描かれ、各種戦闘機が画面の中を縦横に飛び回り、パトリオット・ミサイルまで登場した。そして最終回には「あの日の松島」、松島基地を拠点とした自衛隊の救援活動、帰ってきたプールーインパルスを歓迎する住民の姿などが“感動的”に描かれた。関東地区の平均視聴率は12.65%で、その影響力は計り知れない。
  さらに最近では、テレビニュースや情報番組でも自衛隊の登場が増えている。NHKの「サラメシ」に海上自衛隊の洋上訓練ランチが出たり(6月10日放送)、「横須賀基地お見合い大作戦」(NHK/4月26日放送)という番組まであった。
  自衛隊が映画製作などに協力するに当たっては、防衛省に「部外製作映画に対する防衛省の協力実施の基準について」という内規がある。「防衛省の紹介となるもの」「防衛省の実情又は努力を紹介する等防衛思想の普及高揚となるもの」の2点を基準にしてABCにランク付けされ(Cは協力不適)、協力が決まれば、無償で自衛隊員の出演や、戦車・戦闘機・戦艦などが提供されるのだ。
  製作側は、ただで戦闘機などの迫力ある実写シーンが撮れるのだから、協力要請をしたくなるのは当然のことかもしれないが、協力が得られるようにシナリオを改変するという事態も少なくないようだ。自衛隊側には目的があって協力するのだから、当然と言えば当然である。
  自衛隊協力映画は、自衛隊が発足した1954年の「ゴジラ」から始まっているが、大規模な協力が展開され出したのは、大手メディアが加わる製作委員会方式によって日本映画の規模が拡大した2005年頃からだ。

  一般映画として規模が拡大した分、直接的なプロパガンダは影をひそめたが、巨大な「敵」や「悪」から命をかけて恋人や家族、国を「守る」というパターンは活用され、自衛隊の軍隊としての本質を隠したまま、かえって「毒」は拡散した。
  「自衛隊協力映画&番組」が急増したのは、2011年の3.11東日本大震災からで、自衛隊の大規模な救助活動が報道されたことによってメディアと自衛隊との距離感が縮まった、という見方が一般的だが、改憲策動の流れと無関係であるはずはない。違憲の存在である自衛隊に市民権を与えて、9条改憲の抵抗感をなくそうという意図は見え見えだ。
  また、自衛隊協力を前提に映画やテレビ番組を作ろうとすれば、製作側は自衛隊からの注文を飲まざるを得ない。それは、言論表現の自由を映画人・放送人自ら売り渡すに等しい危険なものだ。映画やドラマによっては軍隊の登場が必要な場面もあるが、安易な自衛隊利用には警鐘を鳴らしたいと思う。