仲築間卓蔵/連載「六日のあやめ、十日の菊」(5)/テレビはなぜ 大事な問題を避けて通るのか/06/03/15
郵政民営化のときもそうでした。
耐震偽装、米国産牛肉、ライブドア、防衛施設庁談合などの4点セットも、偽メール事件にかまけて追跡報道を放棄しています。
陸上自衛隊と米海兵隊の合同演習の報道は、なんのコメントもなしの垂れ流し報道でした。まるで、九条が改悪されたのかと錯覚させられる報道でした。
テレビが大事な問題を避けて通るのは今に始まったことではありません。
避けて通るだけでなく、視聴者の目を反らせる(フレームアップ)役割までしてきたのです。(偽メール事件は、民主党によるフレームアップといってもいいのでしょうが)
特徴的なことをいくつか振り返ってみましょう。
◆サッチー、ミッチー騒動をご存知でしょうか。野村沙千代氏、浅香光代氏のバトルを、延々6ヶ月も報道しました。1999年のことです。
その陰で、日の丸・君が代法があっというまに国会を通過してしまいました。
◆ 2003年、タマちゃん(アザラシ)騒動、白装束集団騒動がありました。このときの報道もものすごかった。
でも、有事法が特別委員会で強行採決(3月15日)された途端、タマちゃんはいなく なりました。白装束集団報道もピタリと止みました。
ばかばかしい騒動でも、話題は話題です。「報道するのはケシカラン」とは言いません。ですが、いま何が起きているかについても関心をもってしかるべきでしょう。
おもしろいネタが飛び込んでくると「これ幸い」とばかりに飛びついてしまうのです。
ジャーナリズムの本来は「いま言わなければならないことを、いま言う」ことです。
いわゆる「フレームアップ」は なぜ起きるのでしょうか。
だれも「視聴者の目を反らさせてやろう」とは考えていないでしょう。フレームアップは 結果として起きているのです。
理由は(順不同ですが)
1 視聴率至上主義があります。だが 言いふらされているし 「またか」といわれたくないので省略しましょう。
「成果主義」が持ち込まれた局もあります。これから持ち込まれる局もあるでしょう(すでに 成果主義は生産現場に適さないということになりはじめているのですが)。
だが 成果主義をやめさせようという動きはありません。諸悪の根源の一つは この成果主義」(視聴率で評価される)です。
2 権力批判の放棄
本来 ジャーナリズムは「批判精神」があって成り立つものです。
しかし 「このネタをとりあげると もしかして どこからかイチャモンがつくかもしれない」と 誰と相談することもなく 自身で規制してしまう場合があります。
勇気(小さな勇気ですが)を持って提案したとして 担当デスクや担当部長 場合によっては局の幹部までのりだしてきて 「やめたほうがいいんじゃないの」「やめろ業務命令だ」ということもあるでしょう。
その結果 大事なことが視聴者に伝わらないことになります。これは「罪」です。
3 「社会的存在」であることを自覚していない。
番組制作者は 一人で勝手に生きているわけではありません。局内の関係セクションの仲間とのコミュニケーションに支えられていますし 局の外の仲間との関係も同じです。そして 不特定多数の視聴者あっての番組だという自覚がない(というときつすぎるから 自覚が薄いとしましょう)
だから 「わたし創る人 あなた見る人」「嫌なら見なけりゃいい」ということになってしまいます。
結果 視聴者との溝は深くなる一方です。信頼関係ができるわけがない