仲築間卓蔵/連載「六日のあやめ、十日の菊」(4)/ 「政治的意見表明の自由 」とは/06/02/15
「六日のあやめ 十日の菊」
ご存知の方もいるでしょうが 一応説明しますね。
五月五日は端午の節句(男子の節句 菖蒲の節句)ですが、 それを六日にやっても意味がないということです。
九月九日は重陽の節句(菊の節句)ですが、 それを十日にやっても意味がないということです。
つまり、 一日遅れたら意味がないということなのです。
「六日のあやめ 十日の菊」
この言葉をいたるところで喋っています。
東京高裁の判決文(寺尾正二裁判長)を聞いたときの感動を いまも忘れられないからです。
事件は安保闘争の翌年(61年5月30日)に起きました。「政治暴力行為防止法」(政防法)に反対する運動との関わりです。
反対集会は6月2日を予定していました。
国会情勢が慌ただしくなり、 集会を5月30日に繰り上げることにしたのです。デモの申請をやりなおす時間はありません。
緊迫していたこともあって、ジグザグデモが発生し、 警官と衝突する場面もあったようです。
公安条例違反で逮捕者がでました。
第一審有罪。
控訴審は延々と続きました。
東京高裁判決は77年6月7日。
9被告を有罪とした一審判決を破棄。1被告を無罪、8被告も減刑という内容です。
普通の裁判ですと主文(結論)だけを読んでおしまいということが多いのですが、この日は違いました。寺尾正二裁判長は判決文全文を淡々と 時間をかけて読んだのです。
判決文を聞く法廷に何度も拍手が湧き起こりました。
ほとんどの場合、廷吏が静止するのですが、この日はそれがなかったのです。
こんな経験ははじめてです。
感動(その一)
判決文は「・・・・・以上のような緊迫した情勢が突如として出現した場合にまで右の許可を受けない集団行動を違法視するのは、右集団行動が『六日のあやめ、十日の菊』に甘んずることを強いることになり、政治的意見表明の自由を尊重すべしとする憲法上の要請に背馳することになり相当でない」と指摘したのです。
一日遅れたのでは意味がないと言ってくれたのです。
感動(その二)
判決文は 集会やデモの効果にも触れています。
「集会、集団行進、集団示威運動とは・・・・・政治、経済、労働問題、世界観等に関する主張、要求、観念等を力強く一般大衆または当局に訴えてその賛成を得るべく集団的に行動するものであって、その反応によって社会内に存在する多様な意見を知る有力な手段であり、さらに、市民運動のデモ等で顕著なように、それに賛同する者が直ちに参加することができるものであること。
すなわち 集団行動を行う者と一般大衆との間には 表現する者と迷惑する者よいう関係だけが唯一成り立つのではなく、相互の意見交流と参加が即時的に可能であるという
『マスコミ等には期待しえない優れた知的コミュニケーションの環』も成り立つ重要な機能をもつものである」とまで言ってくれたのです。
自民党の改憲案は前文なんてどうでもいい 九条二項と九十六条(国会での議決を三分の二から過半数に)さえ変えればいいというものです。
国民投票のハードルも低くしようと考えてもいます。マスコミ規制も強めたいようです。
ジャーナリズムの使命は「いま言わなければならないことをいま言う」ことです。
六日のあやめ、十日の菊になりたくありませんね。
「あの時、こうしていれば」はなしですよね。