仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(95)

テレビ60年 まだまだ可能性は残っている 13/02/11

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 ことしはテレビ60年。
  NHKの開局は1953年(昭和28年)2月1日。同じ年の8月28日に日本テレビが開局しています。しかし、テレビ放送の仮免許を受けたのは日本テレビが最初(前年の7月31日)。
  日本テレビの創設者正力松太郎は、「テレビは最も強力な言論機関である。言論機関はあくまでも自由でなくてはならない。民主主義の原則からいっても、これをいささかなりとも官の手にゆだねるようなことがあってはならない」と語った(日本テレビ50年史、「経営編」)といいます。正力は公職追放が解除され衆院議員に。やがて初代原子力委員長。「原子力平和利用」の宣伝に読売新聞と日本テレビは大きな役割を果たしていくことになります。以降のテレビが「民主主義の原則」を貫いてきたか・・・・。いま、あらためて問われています。

 ぼくは日本テレビに途中入社だけれど、街頭テレビの前に人々が群がって見ていたのをきおくしていますね。力道山、巨人・阪神戦・・・生中継に湧いていました。力道山といえば、追い詰められて反撃する(水戸黄門の”印籠”にも似た)空手チョップでした。この空手チョップが放送で出なかった事件?があります。これを記憶している人はほとんどいないでしょうね。このことを書くと長くなりますから、詳しくは別の機会にしましょう。

 2月1日。NHKは19時30分からと22時からの2回、「テレビ60年スペシャル」を放送しました。19時30分からの「発見!テレビのチカラ」では、テレビの生き字引といわれる黒柳徹子さんが「アメリカNBCテレビのプロデューサーから“テレビは永久の平和が得られるもの”といわれた。それでテレビに出た」「私はいまも信じていますけど・・・」といっていましたね。
  萩本欽一さんは、「(テレビには)何かが起こりそうだ という期待があった」「テレビとは“発見”と“初見”を探し当てるもの」「テレビにはまだ可能性がある。まだ50パーセントしかチカラを発揮していない」「テレビは”仮面”を被っている。その“仮面”を若い人の力でむしりとってもらいたい」と。欽ちゃんのいう“まだ残っている50パーセントの可能性”にどのように挑んでいくか・・・。創る側、視聴する側が問われていきます。

 22時~の「1000人が考えるテレビ」では、視聴者の意見が紹介されました。「タブーに切り込んでいない」という意見がありました。ジャーナリストの津田大介さんも「深い情報、突っ込んだ意見がほしい」と。
  テレビ東京のドラマプロデューサー山鹿さんは、担当した『鈴木先生』(一味ちがった学園ドラマ)について語っていました。「視聴率は2.4%。ドラマとしては最低だった。しかし、出演者、スタッフは“自分たちがやっていることは間違いないんじゃないか”と確信をもってやった。自信をもって“これを見てください”ということが大事だと思う」と。
  この番組、視聴率は最低でしたが、数々の賞をうけました。放送後、多くの人がインターネットで視聴したといいます。

 番組は、最後に「テレビに未来はあるか」と問いました。未来はあると思う―66%、そうは思わない―34%という結果でした。
  テレビ離れ、テレビ不信が広がっているなかで、テレビに未来があると答えた人が66%あることを不思議に思われるかもしれませんが、視聴者は、まだテレビを見捨ててはいないのです。欽ちゃんのいう「まだ残っている50パーセントの可能性」に期待をよせているのです。
  「テレビが被っている“仮面”」は、誰かを気にして、肝心な報道から逃げてしまっている“自己規制の仮面”でしょう。テレビ60年。ことしは、原点に戻る年になればいいのですがね。



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