仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(88)

メディアの生き残る道は 読者の「後押し」と 現場の「自覚」 12/08/17

メディアの生き残る道は 読者の「後押し」と 現場の「自覚」

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 

 寒いのも厭ですが、暑すぎるのも厭ですねえ。
  いろんなことにかまけて、ブログの更新を怠っていました。「そんなことどうだっていいよ。誰も気になんかしていないよ」ですって?。そんなこといわないで、今後ともご贔屓をおねがいしますよ。

 今回は、8月11日(東京・日比谷のプレスセンターホールで)におこなわれた日本ジャーナリスト会議(JCJ。一応ぼくはその放送部会代表となっているのですよ。最近は、スケジュールが重なって出席できなくて、何の役にもたっていないので、そろそろ”代表”を辞任させてもらおうと思ったりしているのです。えッ JCJを辞めるのではありませんよ。いま大事な時期ですもの)の『市民とジャーナリストを結ぶ8月集会』の印象を、おそまきながら・・・・。

 この集会では、この一年のすぐれた報道を顕彰して「JCJ賞」を贈るというのが恒例になっています。今年は55回目です。受賞した東京新聞特報部長の言葉を借りれば「55=GO GO」です。

 タイトな時間設定ですが、必ず記念講演が組み込まれます。
  今回は茨城県東海村の村上達也村長の講演でした。静かな語り口の人でしたねえ。
  「東京電力の事故調報告は、大きな犯罪を犯していながら自己弁護している」と東京電力をばっさり。返す刀で、「敗北を認めないのはアジア太平洋戦争と同じ」「いまだに方向転換できていない」と野田民主党内閣もばっさりでしたね。

 今回のJCJ賞は、大賞をふくめて6作品でした。受賞作のすべてを紹介するつもりはありません。詳細をお知りになりたい方は、JCJ機関紙『ジャーナリスト』を読んでもらえれば・・ね。
  今回の印象を書こうと思ったのは、受賞された人たちの発言に親しみを感じたからです。そこに、なにやら「ほのぼのとした“未来”」が見えたからです。
 
  大賞は、「福島原発事故後に国が設定した許容被曝量を疑問視し、危険を追求した『こちら特報部』の一連の報道」です。
  受賞した東京新聞特別報道部を代表しての担当部長の言葉は、「一時“市民団体の機関紙か!”と批判されたことがあるが、後押ししてくれたのは読者だった。その力がなければできなかった」でした。
  JCJ賞「沖縄防衛局長の“オフレコ”暴言スクープをはじめとする米軍普天間飛行場移設問題をめぐる一連の報道」で挨拶に立った記者は、「オフレコ発言をどう扱うか悩んだ。報道することに踏み切れたのは読者や先輩たちの支えがあったから。真の受賞者は沖縄の県民と読者であった」と。

 同じくJCJ賞、日本テレビ系『NNNドキュメント‘12』「行くも地獄 戻るも地獄~倉澤治雄が見た原発ゴミ~」(日本テレビ、札幌テレビ、中京テレビ共同制作)で挨拶をもとめられた札幌テレビの女性プロデューサーのことばは泣かせてくれました。「この集まりに参加できたことは財産になった」「札幌に帰るとニュースに追われる毎日になりますが」と壇上に掲げられているスローガン“権力の監視 真実の追究に全力を!”を見上げながら、「この文字が目に飛び込んできました。これがすべて。自信を持ってこの言葉を持ち帰って、ますますいい報道につなげていきたい」といったのです。
  日本テレビの創立者正力松太郎は、アメリカの支援でNHKより早くテレビ免許を得て、公職追放を解除され、国会議員になって初代原子力委員長になった人物。最近肩身が狭い(日テレ出身ということで)思いをしていたものですが、彼女のことばは、それを励ましてくれるに十分でしたよ。日テレ系列も捨てたもんじゃない。いろいろあるだろうが、がんばってほしい。

 この日のキーワードは、「読者の支え」と現場の「自覚」だったといっていいでしょう。
  ジャーナリストの良心とJCJと市民が一体になった一刻に思えましたね。
  この連帯は、かならずしも大きなものではないかもしれない。しかし、ジャーナリズムの本来のあり方として、一石を投じたことは確かです。
  受賞されたみなさん、おめでとうございました。そして、「未来」を、僅かでも明るくしてくれた発言に感謝です。ありがとうございましたです。




 

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