仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(72)

前田武彦さんが逝った 11/08/06

 

前田武彦さんが逝った

 

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 

 8月5日。元スポーツニッポンの記者・Mさんから「前武さんが亡くなった」という連絡が入った。
  「タレントの誰か 談話を出してくれる人はいないか」という。「大橋巨泉さんは、いま海外でちょうど睡眠中でだめだ」という。前武さんといえば、巨泉さんとのコンビでテレビ界に名を残した『ゲバゲバ90分!』のプロデューサー井原高忠さんしかいない。
  井原さんが(長い間ハワイに住んでいたが、ハワイの喧騒に嫌気をさしてアトランタに移り住んだ。しかし、どうも肌に合わないらしくて、再び、今春ハワイに戻っている)ハワイだということをMさんは知らない。ぼくも、度々メールのやりとりはさせてもらっているが、電話は知らない。井原さんの東京の連絡先は、たしか曲直瀬プロダクションである。
  どうやら連絡がとれたらしい。
  6日のスポニチと東京新聞が、大きく「名司会者前田武彦さん死去」を報じた。
  井原さんの談話は(「戦友の一人がまた旅立った」という小見出しで)「嗚呼、また共にテレビの開拓時代を過ごした戦友が一人逝ってしまったか、という思いです。同時代に生きた仲間である彼にとって、きっと今の日本は腹立たしいことだらけだったと推測します。楽しかった”あの時代”の思い出を胸に旅立ったことでしょう」である。いい談話である。

 ぼくが労働組合運動にのめり込んでいくまでは番組宣伝のしごとをしていた。
  前武さんとのつきあいは長いが、残る思い出は二つある。
  『天下のライバル』(井原さんがプロデューサーだった)の司会に起用されたのが前武さんだった。麹町のマンションの一角に事務所があった。番組タイトルを将棋の大山康晴名人に書いてもらおうと阿佐ヶ谷の自宅にお伺いした。名人の奥さんが「あなた麻雀がお好きなの?。だったら主人とおやりなさいよ」という。名人とやるなんてと興奮したものだが、次の言葉を聞いて尻尾を巻いた。「一度はお勝ちになるかもしれませんが、二度目からはだめね」とおっしゃる。「主人は、一度牌に触れると全部憶えてしまうのよ」とおっしゃる。当時の牌は竹でできていた。竹の「目」が一つひとつ違う。名人は、それを憶えてしまうというのだ。名人にしてみれば、牌を表にしてやるようなものである。お手合わせは遠慮させてもらった。
  色紙を書いてくれると言う。「麻雀が好きなら」と書いてくれた文字は『天和』(テンホー、親の役満)だった。この色紙、いまも身近なところに大事に飾ってある。(これは前武さんと直接関係ないが)前武さん司会番組を通しての思い出のひとつである。
  二つ目は、『ゲバゲバ』である。
  その頃、藤原弘達さんの著作『創価学会を斬る』をめぐって、「言論・報道の自由」についてのたたかいが起きていた。
  「文京公会堂で集会がもたれるが、誰か話してくれる人はいないかねえ」と相談された。
  たまたま居合わせた前武さんに話したところ、「行ってもいいよ」という。
  『ゲバゲバ』は、ハナ肇さんの「アットおどろくタメゴロー!」をはじめとして、ギャグの多くは収録されていたが、巨線さんと前武さんの司会は生放送である。その時々の社会情勢を二人がトークするのだから、生放送は当然である。『ゲバゲバ』がうけたのは、練りに練ったギャグの面白さ、テンポのよさのほかに、二人の生トークが評価されていたからだと思う。
  リハーサルの合間に、二人で文京公会堂に駆けつけた。前武さんが何をしゃべったか、まるで記憶にない。
  慌てて帰ったら、巨泉さんが「どこに行ってたのよ」と訊いてきた。生半可な返事でごまかした記憶がある。
  井原さんには無許可でやってしまった。もし、リハーサルに間に合わなかったら(井原さんは 時間には厳しいひとだったから)どんなことになっていたか。いま考えても冷汗ものである。井原さんには、ずっと後になって打ち明けた。と思っている。たあさま(ぼくは井原さんのことをこう呼んでいる)あのときは、無断でごめんなさい。

 前武さんは、その後、フジテレビの歌番組で、日本共産党の(たしか大阪選出の沓脱たけ子さんだったか)参院議員の当選でバンザイをやったとかで話題になったが、真相は知らない。でも、前武さんとはそんな人である。
  その後、かなり経って、川崎あたりの生涯学習センターで前武さんといっしょに(テレビについての)シンポジュームをやったことがあるが、それがお会いした最後である。
  一昨年、井原さんの「傘寿」の会が赤坂プリンスホテルで華やかに催されたが、その席に前武ご夫妻も参加されていたという。お会いしておけばよかった。萩本欽一さんなどと喫煙所でたむろしていたのがよくなかった。
  あのとき参加していた井上ひさしさんも、もういない。
  井原さんではないが、「今の日本は腹立たしいことだらけ」だけに、「もの言う人」が逝ってしまうのは口惜しい。
  前田武彦さんのご冥福を祈りながら・・・・。

 8月6日8時15分。NHKの「広島平和記念式典」の中継を見ながら黙祷しました。
  9日、長崎では また山里小学校の児童たちが「あの子が生きていたならば」を歌うのだろう。


 

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