仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(57)

井上ひさしさんと日比谷公会堂

 

井上ひさしさんと日比谷公会堂

 

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 

 

 6月19日(土)、日比谷公会堂。
  恒例の「九条の会」講演会。
  今回は、4月9日に急逝された井上ひさしさんを偲んで『井上ひさしさんの志を受けついで・九条の会講演会・日米安保の50年と憲法九条』という名の集会になりました。
  「九条の会」のイベントは、毎回マスコミ九条の会に任されているのです。
  今回も、舞台下手に大きな「ひまわり」のイラストを下げました。有明コロシアムで第一回「九条の会講演会」をやったときの舞台の両端に「ひまわり」をセットしたのがはじまりで、「九条の会」といえば「ひまわり」が定着したといっていいでしょう。

 井上ひさしさんといえば名だたる愛煙家でした。日比谷公会堂で喫煙できるのは楽屋入り口にある喫煙所だけ。そこに引き寄せられるのは、必ずと言っていい井上さんと、(九条の会事務局長の)小森陽一さん。そして私の三人。
  19日に井上さんはいません。進行の合間にやってきた小森さんも、この日は無口。いつもなら、ここに井上さんがいたのです。

 定員いっぱいの2000人。
  開会前のBGMは、「マドンナの宝石」と「カヴァレリアルスティカーナ」。どちらもオペラの間奏曲です。きれいな曲です。
  開会前に、生前の井上さんの映像が映し出されました。僅か20分足らずのものでしたが、元NHKの桜井さんの編集は(井上流の講演と笑いのあるもので)すばらしかった。
  今回の講演は大江健三郎さんと奥平康弘さん、そして澤地久枝さんの三人だけ。三木睦子さんもお出でになりましたが、体調を気遣われて講演はなし。お出でいただいただけでも感激です。鶴見俊輔さんと梅原猛さんは(運動を続ける意思を表明した)メッセージを寄せられました。
  井上ひさし夫人のユリさんが話をしてくれました。意外に明るい表情だったのにはホッとしたものです。わずか2分の話でしたが、「粘り強く、おおらかに、楽しく運動を続けましょう」と、まさに井上ひさしさんの遺言でもあるような内容だったのです。
  ユリさんの話の後は、(ユリさんがお願いしたという)佐藤修三さんの(「吉里吉里人」の一節)朗読です。
  チョーンという拍子木で、東北訛りの朗読です。これがまたすばらしい。チョン、チョーンという拍子木で締めです。今回の演出といえば、この拍子木でしたね。この拍子木は青年劇場からお借りしたものです。ありがとうございました。

 私にとってこの日がいい思い出になったのは、井上ユリさんと、『ゲバゲバ90分』の大プロデューサーだった井原高忠さんが、私の携帯電話を通じて話をされたことです。
  井上ひさしさんは、その頃、『ゲバゲバ』の構成作家の一人でした。昨年の6月6日、赤プリで井原さんの「傘寿の会」を大々的にやられたのですが、そのとき、井上さんは元気に参加されていたのです。
  井原さんのことは、ひさしさんからことある毎に聞かされていたけれど、ユリさんは「お会いしたことがなかった」そうです。
  井原さんは、「もう日本にくることはないだろう」(いまアメリカはジョージアに住んでいるのです)と言っていたのですが、ラジオ出演などでやってきた。前日(18日)博報堂の旧友たちと銀座三笠会館で井原さんを囲む会をやった。彼は酒を飲みません。「酒飲みが嫌い」でした。が、今回は二次会までつきあってくれたのです。私は調子に乗ってのみすぎた。翌日、井原さんから「卓蔵さん、かなり酔っ払っていましたねえ」という電話をもらって、恐縮のかぎりでしたよ。その日は、東海道線で辻堂まで乗り過ごしたのです。19日は二日酔いでの日比谷公会堂だった。面目なし。
  でも、ユリさんと井原さんが話をすることができたので、ま、いいか。

 ユリさんが、別役実さんと話をする機会があったとき、別役さんが、「劇作家協会の人たちと話していたとき、”井上ひさし記念喫煙所”を、所縁の劇場につくったらどうかというはなしになった」と言われたそうです。それができれば面白いですねえ。名作はたくさん遺された井上さんですが、スペースとして、しかも、いまや「非国民」的扱いの愛煙家のために、そんなスペースがあってもいいのじゃないですかねえ。

 井上さんが綴っていた闘病日誌の最後のページには、こう書かれていたそうです。

   過去は泣きつづけている―ーーー
    たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので

   過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる

   いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる

   過去は訴えつづけている

   東京裁判は、不都合なものはすべて被告人に押し付けて、お上と国民が一緒になって
    無罪地帯へ逃走するための儀式だった

   先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

   瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石。

 この一節は忘れないようにしよう。
  井上ひさしさん。ゆっくりお休みください。どこかの空の喫煙所から、私たちを見ていてください。

 

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