仲築間卓蔵/連載「六日のあやめ 十日の菊」(25) //07/05/15 ![]()
ニュースの表現って こんなものなのだろうか。
5月14日 昼前。改憲手続き法は衆院本会議で強引に成立させられてしまったが その日のNHKの昼ニュースは 「これで憲法“改正”に向けての具体的手続きが整うことになりました」と表現した。
“具体的手続き”が整ったのだろうか。
中央公聴会は開かれなかった。最低投票率の議論も尽くされてはいない。公務員の運動についてもうやむやである。 有料広告の危険性もそのままである。問題を積み残したままなのに “具体的手続きが整った”とかたづけていいのだろうか。少なくとも経過を踏まえたコメントがあってもいいのではないか。なんらかの“接頭語”があったっていいのではないか。
かつて日本テレビのアナウンサーが 「ようやくイラク特措法が通りました」と言ったことがある。“ようやく”というのは “待ち望んでいた”と受け止められる。ニュースは「主観を交えない」で伝えるとされているようだが 結果はそうではない。短いコメントのなかに “姿勢”が出るのだと思う。日テレにしろNHKにしろ ニュース原稿を書いた記者がいる。その記者の主観が出る。「これでいいの?」と疑問をはさむアナウンサーもいないのか。けっして八つ当たりではない。
そんなNHKニュースだったが 憲法記念日前後の憲法関連番組には見るべきものがあった。
30分ものだったが 5月7日の『クローズアップ現代』“9条を語れ 平和憲法は今”は考えさせられる内容だった。経団連の考え方と フリーターの思いを対比させていた。
経団連の憲法関係者は 「Cラインでタンカーが攻撃されたら・・」「海外での経済活動のためにも(改憲は)必要」という。
メーデーに参加したフリーターの若者たちからも取材していた。400人をこえる集団である。「残業代を払え!」「時間給を上げろ!」のシュプレヒコール。
何人かにインタビューしていた。返事は「戦争でも起きないと今は変わらない」「バイトより自衛隊。国が給料を保証してくれる」である。
そのデモのなかに(元右翼だったという)作家・雨宮処凛さんがいた。
彼女は言う 「彼らにとって 戦争は希望。平和は絶望」「(今に対する)異議申し立てなのです」と。
そこで思い出した一文がある
社会学者・小熊英二氏は『民主と愛国』で 「1930年代前半には 経済不況の脱出口として戦争に期待をかけていた庶民も少なくなかった」と述べ 農本主義者の右翼・橘孝三郎が記録したという満州事変直後の「純朴そのものな村の年寄りの一団」の 列車の中の会話を記している。
会話とは 「どうせついでに早く戦争でもおっぱじまればいいのに」「ほんとにそうだ さうすりゃあ一景気来るかもしれんからな」「ところでどうだい こんなありさまで勝てると思うかよ。なにしろアメリカは大きいぞ」「いや そりゃどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゅうても強いからのう」「そりゃあ世界一にきまってる。しかし軍隊は強いにしても 第一軍資金がつづくまい」「うむ・・・」「千本桜でなくとも とかく戦いというものは腹が減ってはかなわないぞ」「うむ そりゃそうだ。だが どうせ負けたって構ったものじゃねえ。ひと戦争のるかそるかやっつけることだ。勝てばもちろんこっちのものだ。思う存分カネをひったくる。負けたってアメリカならそんなにひどいことはやるまい。かえってアメリカの属国になりゃあ楽になるかも知れんぞ」
デモの若者と「年寄りの一団」・・・・・似ている。閉塞感から抜け出るためには 殺したり 殺されたりは二の次である。
だが 満州事変直後と今と 決定的に違うところがある。憲法だ。その気さえあれば 選挙で国の仕組みを変えることができる。
改憲派は 本気で「格差」問題や ニート、フリーター問題を解決しようとしているのだろうか。そうは思えない。逆に 格差はそのまま ニート、フリーターは増えた方がいいと思っているのではないか。閉塞感から抜け出したい若者たちが 「お出口はこちら」と案内される出口は 「いつか来た道」「戦争への道」なのではないか。 となると 九条改悪の次は徴兵制である。この国の防衛費は4兆7000億円だという。そのうち人件費は2兆1000億円だという。約半分である。人件費を節約しようとすれば「強制」しかない。かつては「一銭五厘の葉書」一枚で戦争に駆り出された。
若者たちとの会話が成り立つ状況は生まれている。『クローズアップ現代』は そんなことを考えさせてくれた。