仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(124)


なにかぜずには おれない 18/09/08

 玉城デニー衆議院議員は8月29日、那覇で記者会見し、辺野古新基地阻止の一点で結集した「オール沖縄」の候補者として沖縄県知事選(9月13日告示、30日投票)への出馬を正式に表明した。玉城氏は「翁長雄志知事の遺志を引き継ぎ、辺野古新基地建設阻止を貫徹する立場だ」と表明した。
 これにより、圧倒的な民意に沿った「オール沖縄」と、民意を踏みにじり辺野古新基地を推進する自公維勢力との総力戦になることが確定した。(しんぶん赤旗から引用)
 ここで、一言触れておきたいのは自由党についてだ。現在、自由党の衆議院議員は小沢一郎さんと玉城さんの二人で、玉城さんは幹事長・国対委員長・代議士会長などを兼務している。その玉城さんが議席を捨てて知事選に挑むことになる。政党としては大きな決断をしなければならなかった・・悩まれた・・と思う。結論は、「オール沖縄」と翁長知事の遺志を尊重したということになる。

 沖縄の基地をめぐる歴史を振り返ってみる。
 沖縄の米軍基地は、戦後、住民が収容所に強制収容されている間に私有地1万6千ヘクタールを没収してつくられた。
 1950年代前半に、「銃剣とブルトーザー」で約2万ヘクタールの基地が強制的に拡張された。
 1952年から1960年の日米安保条約改定までの間に、日本本土の米軍基地は2分の1に、沖縄の米軍基地は2倍になった。
 このような土地収奪は、「土地収用令」「沖縄公用地暫定使用法」「沖縄地籍明確化法」「米軍用地収用特別措置法」で基地を提供させられ続けた。
 この間、1960年代から70年代のベトナム戦争に、沖縄から出撃している。
 
 もし、辺野古新基地がつくられれば、沖縄県民「自ら差し出す」最初の基地となる。
 沖縄県民は、70年間にわたる基地の重圧に苦しめられた歴史にかけて、「自ら差し出す」基地は許さない!であろう。

 沖縄県は8月31日、仲井真弘多前知事による辺野古の米軍基地建設に伴う「埋め立て承認」を撤回した。歴史的な一歩をあらためて踏み出した。

 ジャーナリストの斎藤貴男さんがなにかのコラムに書いていた。「私たちは人間らしく生きたいのか。ただ支配されるだけの人生を望むのか。選択を迫られる秋(とき)である」と。

 そこで、わたしたちはどうするか・・・。地元のことで恐縮だが、8月28日、根岸線九条の会連絡会で、30日、大船九条の会で(沖縄に)カンパをおくることを決めた。
 なにかをせずにはおれない。
 がんばれ玉城デニーさん!がんばれ「オール沖縄」!