仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(100)

広島平和記念式典と映画『Emperor』 13/08/07

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 8月6日。広島平和記念式典。8時15分。テレビの前で鐘の音を聞きながら黙とうした。
  松井一実・広島市長は平和宣言で、「・・・無差別に多くの市民の命を奪い、人生をも一変させ、また、終生ににわたり心身を苛み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり”絶対悪”です」「・・・世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか」と呼びかけた。そして、「東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。そして、日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます」と結んだ。
  安倍首相のあいさつはどうだったか。「非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、恒久平和の実現に力を惜しまぬことをお誓いする」といった。テレビ画面に向かって思わず「非核三原則をなし崩しにしようとしているではないか」「安倍政権は、4月のNPT再検討会議準備委員会で、核兵器の非人道性を告発する共同声明(80ヵ国賛同)への署名を拒否しているではないか」と叫んでしまった。「口から出まかせのあいさつ」とはこういうのをいうのだろう。これが日本の首相かと思うと、哀しい。

  市内の小学生が「平和への誓い」を読んだ。原爆の惨状を祖母から聞いたとき、「涙が出て、震えが止まりませんでした」と。「平和は、わたしたち自らがつくりだすものです」「大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。さあ、一緒に平和をつくりましょう。大切なバトンをつなぐために」・・・と。
  感動した。この子たちの言葉が、安倍首相に届いたとは思えない。
  広島と安倍首相の「距離の遠さ」を、あらためて実感した一瞬だった。

  テレビ報道はどうだったか。
  NHKは8時から37分間中継した。広島では各局とも特別番組を編成してるはずである。だが、民放キイ局は・・沖縄のヘリ墜落事件だった。たしかに大事件である。だが、中断して8時15分の「鐘の音」ぐらいは伝えてほしかった。「ヘリ墜落」と「原爆」・・・・無関係ではない。わずかな時間のカットイン(番組中に画面を挿入する手法)すれば、訴える効果はさらに増したのではなかろうか。そんなことを考える人はいなかったのだろうか。

 8月5日、空き時間を利用してアメリカ映画『Emperor』(「終戦のエンペラー」)を観た。
  原爆投下・・・マッカーサーが厚木に降り立つところからはじまる。
  戦犯裁判に昭和天皇をかけるべきかどうか・・・。マッカーサーは日本通の准将に調査を命じる。
  物語は、その准将と日本女性の恋をタテ軸に展開していく。
  天皇の責任の「証拠」は見出すことはできなかった。
  准将が探し求めていた恋人は、大空襲で死んでいた。

  上映開始寸前なのに、チケット売り場は行列だった。
  この回はムリかな と思ったが、そうでもなかった。空席は目立ったが、観客の入りはいい。
  映画が終わってエンディングロールが出るが、誰も立とうとしない。ぼくは真ん中の席なので、出るわけにはいかない。
  仕方なく座っていたが、終わった後の場内の雰囲気は・・・なんと表現すればいいか・・「異様」といったらいいか。「静寂」である。観終った人たちは きっと「どのように解釈したらいいんだろう?」と「困惑」している「静寂」だと思えた。日本ではとり上げ難い終戦裏面史をとり上げるのではないかと期待したが、それはない。つまり、「製作意図」が「不明」なのだ。それが「奇妙な静寂」となったと思える。
  昭和天皇が「責任は私にある。国民にはない」とマッカーサーに語りかける。それがいいたかったのか・・。
  観客は、昭和天皇とマッカーサーの(有名な)ツーショットの写真の真実を知りたくて足を運んだと思われる。ツーショットの写真を利用し、終戦の日に合わせた「きわもの映画」といったら言い過ぎだろうか。






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