仲築間卓蔵/連載「六日のあやめ 十日の菊」(10) /民放シニアの会の「沖縄平和ツアー」/06/07/01
民放シニアの会の「沖縄平和ツアー」 6月25日から27日。日射病にかかったMさんはどうやら大丈夫なようです。全員無事に帰ってきました。
梅雨明けの沖縄は 連日30度を超す暑さ。すっかり夏です。
それぞれが それぞれの思いを抱いているでしょうね。
ツアー一日目は普天間 嘉手納飛行場の見学です。
最初に案内されたのが沖縄国際大学。
04年8月13日午後2時18分 大学本館ビルに米軍ヘリコプターCH53Dが墜落 激突 爆発 炎上しました。
命の被害がなかったのは「奇跡」の連続だったようです。なにしろ住宅密集地なのですから。
あっという間に米軍が大学を占拠したそうです。地元の消防 警察の検証を拒みました。「安保植民地状態」と表現した軍事評論家もいます。
いま 大学本館ビルは取り壊され 新築工事が進行中です。焼けた壁面をみることはできません。
墜落直後 米軍は報道規制をしながら周辺の砂をすべて持ち去りました。それでもガイガーカウンターが反応したようです。あのヘリに何が搭載されていたのうでしょうかね。
この日われわれが目にしたのは 吹き飛ばされて残った一本の焼けた樹だけです。
なんという名の樹か聞き忘れましたが 「赤樹」か「モクマオ」(外来種)ではないかということです。
その樹の根元にははやくも新芽が育っています。焼けた樹皮はやがて朽ちて隠されてしまうのでしょう。
そのとき墜落の痕跡は無くなってしまいます。
市街地のど真ん中にある普天間飛行場を後にした時のみんなの気持ちは 「いますぐ沖縄に返せ!」でしたね。
嘉手納飛行場を目の前にしたら その思いはさらに大きくなります。
「日本最南端の道の駅・かでな」の屋上が展望台になっています。望遠鏡もある。
広い ばか広い。
日曜日のせいか 遠くに偵察用と思われる大型機が一機。
上空に戦闘機が五機。
やがて数機のプロペラ機が順番に舞い降りてきます。まるで日曜の空の散歩といった感じです。
他は格納庫か 海外出張?か。
こんなものいらない! いますぐ といっても60年も経っているのですが 「沖縄に返せ!」
夕食時にスコール。ものすごい音です。梅雨の最中に沖縄は土砂災害に見舞われました。こんな雨がつづいたのですね。
翌26日は辺野古 平和の礎 ひめゆりの塔 人々が身を隠したそして死んでいったガマ(洞穴)を廻ります。
辺野古への途中 バスの運転手(山口さん)が気をきかせてくれて大浦湾が一望できるポイントに立ち寄ってくれました。
「大浦湾の水深は深い 大型艦船が着岸できる」「反対側は遠浅。工事がし易い」などという会話を聞いていてくれたのですね。
今後訪れるひとは ぜひこのポイントに立ってみるといい。アメリカが考えている全体像が見えます。
辺野古の「団結小屋」はこの日が799日目。「九」のつく日です。
70歳になる女性が海上での抗議行動の経過を話してくれました。
カヌーの漕ぎ方を覚えたそうです。泳げなかったひとが泳げるようになったそうです。
無関心だった陸の上の人たちが 「申し訳なかった」と行動に参加してくれるようになったといいます。
この日は何事もないので常駐は4人。いざという時は連絡網があるのです。
「沖縄のNHKは嫌いだ」といいます。
NHK以外の報道関係者は 工事の情報を知ると「こんな情報があるのですが 意見をきかせてくれ」と連絡してくれるのだそうです。その情報が連絡網に流れ みんなが駆けつけるのです。
NHKが情報をキャッチした場合は 知らせてはくれないのだそうです。
ニュースをみて知るのです。だから行動が一歩遅れることになるのです。
NHK受信料不払いの多いのは沖縄だと聞きました。「納得」ですね。
沖縄と本土の報道の「温度差」はかねてから指摘されていますが 沖縄にも「温度差」があることを知ったのです。
沖縄のマスコミの交流組織は「マスコミ労協」だそうですが いまいちNHKの動きが鈍いそうです。誰のためのNHKなのでしょうね。
辺野古の海岸に鉄条網が張ってあります。その先はキャンプ・ハンセンです。
鉄条網に抗議の布切れが無数に結ばれています。とるのに苦労するのか 米軍はそのままにしているようです。
先日 この海岸で広島の青年が逮捕されました。たまたまこの場所にテントを張ったのです。「布切れをとりつけたのはお前たちだろう」というのです。
事件がなくなることはないでしょうね。米軍が居座り続けるかぎり。
読谷村役場のことをいいわすれました 嘉手納飛行場脇に「おれは読谷村役場だ!」と言わんばかりに胸を張って建っています。憲法九条の碑が建っています。
近くにあるのは「象の檻」(通信施設)です。
27日は自由行動です。
モノレールで首里へ。タクシーの運転手さんが「知念海岸のガラスの船に乗ってみてはどうですか。飛行場までお送りしますよ」といいます。任せることにしました。
首里城のことは省略です。ただ もしも沖縄が独立したら この建物が大統領府になるのかも・・・と思ったりしましたよ。
知念海岸にいく途中 運転手さんが車を停めました。「あのマンションを見てください」といいます。5階建てマンションが四棟 少しづつ斜めに傾いています。土砂災害のの被害です。賃貸だそうです。もう誰も住んでいません。東京のメディアも取材にきたそうです。おかしな観光コースになりそうです。
ガラスの船というのがあるのは新原という集落です。2キロ先の珊瑚礁が自然の防波堤です。干潮時はそこまで歩いて行けるそうです。
この海には 他所では見られない魚がいるようです。
陸上で開発が進められようとしたとき 集落の人たちは 陸の人もいっしょになって反対して「美ら海」を守ったのです。
海はいくつもの色をしています。波にえぐられた奇岩が並んでいます。昔 転がり落ちた岩なのです。
ガラスの船とは 船底がガラスになっている船なのです。
熱帯魚がいっぱいです。お奨めのスポットです。
前夜 三人の女性による沖縄の歌を聞いて飲んだ店は「金城(かなぐすく)」 タクシーの運転手さんは金城(きんじょう)さん。
僕の名前を知って 「沖縄の人ですか?」と。
妙な縁です。
「こんどこられるときは 福樹(デイゴの樹などとともに街路樹になっている)に囲まれて 外部からはそこに村があるとはおもわれない所をご案内しますよ」と言われた。
昔ながらの家並みが見れるそうです。
訪れてみたいものです。
それよりも あの辺野古に(このままでは恒久化してしまう)基地を作らせてはなりません。日本を真の独立国にしなければなりません。
暑かったけれど 百聞は一見にしかず。いい旅でした。
買ったもの 6枚1000円のハンカチ 辺野古の貝殻でつくられたストラップ300円 「戦争ほうき」の文字入りの小さな帚のアクセサリー300円を2個。
経済的には喜ばれませんね。
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