岩下俊三/ジャーナリスト/九条2項を守る意力を失っているマスコミの職場/07/02/13


 

 改憲策動がここまできてもメディアの関心は視聴率だけ

―九条2項を守る意力を失っているマスコミの職場―

岩下俊三(フリージャーナリスト)

1948年生まれ。慶応大学卒、パリ大学在学中から映画制作、BBC、フランス2などでテレビドキュメント制作従事。1985年よりテレビ朝日をベースにニュースステーション、報道特別番組を制作、世界中の紛争地域を取材。大学講師(表現文化論)。

 

 病気のため原稿が書けずお休みしているうちに、自・公安倍政権の数の暴力によって教育基本法が改悪され、次に危険きわまりない「合意の捏造をはかるペテン法」といわれる改憲手続き法=「国民投票法案」を、安倍首相は5月3日の憲法記念日までに決めたいと言っている。格差是正という大問題や内閣支持率低下などこれらはそう簡単に解決しないと見るや、ただちに安保防衛という国民の見えにくい問題を争点に摩り替えたりする狡猾さ、粘り強さに欠ける「現代っ子」の切れやすい性質を、安倍氏自身が体現しているようにも思われる。というのはこうした彼の性格(以前何度か会ったとき感じた)は一般人としてはほほえましい部分もあるが、政治家としてのよって立つ根拠がバーチャル―現実の戦争を知らず、またその「臭い」も知らない―ではまことに心もとない。教育基本法を改悪して、戦前、戦中に行なってきた人の心の中まで縛ろうとする国家危急の時には一身を投げうって国=天皇のために尽くす
「愛国心」を養う教育に逆戻りさせ、これから更に煽りたてようというのでは、いうまでもなく歴史のなかでもっとも劣悪な、馬鹿げた行為である。
 しかも問題はこうした「馬鹿殿」の御乱行をとめる役目のメディアが憲法問題を取り上げることもなく、すぐに視聴率を廉価でとれる非政治的な「お笑い」を連日たれ流していることである。そこには今日さえ食えれば、という「ゆでがえる」的な発想もあれば、ノーム・チョムスキーのいう一部エリートに(特に政治的、経済的な)牛耳られたメディアのありようもあるだろうけれども、それだけではない。メディアに携わっている人間そのものが安倍氏と同世代の、現実的なストレスと、バーチャルな、きれやすさを共生させている危険な人間たちであることであるし、またそうならざるを得ない環境にあるともいえるのであろう。

 いずれにしても未成熟な民主主義社会である日本で、唯一のアイデンティティであるともいえる憲法が、若き宰相と未熟なメディアで繰り返される騙しのテクニック、たとえば国民投票法案の本質を追及せず、そのいかさま、ペテンの黙認などによって容易に換えられるのは、あるいはそのように状況が進んでいるのは、どうも我慢できない。病気している場合ではない!と自らを戒めているところであるが、先日久しぶりにメディアの現場にいったら、憲法問題についての関心は低く、やはり視聴率(飯の種?)に必死になっているジャーナリスト?から「ケンポー?それってとれない、とれない」と一蹴された。確かに病み上がりの、しかもフリーの60歳代になろうとする人間のたわごとを聞く暇は現役記者にはないだろう。しかも視聴率がとれそうもない(そう思っているだけなのだが)話など聞きたくもないのだろう。しかし、今立ち止まって考え、そして主張することをしないと、日本はこのままずるずるとアメリカの尖兵となって、世界に戦争を輸出する国になってしまうのだ。もしそうなれば、メディアがなんだ、政治がどうしたという問題ではないはずだ。若者たちがまず徴兵などでかり出され、米軍再編で日本の基地が最前線になり、一般市民も戦火を受ける。つまり殺されるのだよと声高に叫んでもその声は空しい。悲しいかな、国民のために何も尽くせない、それが今の日本のメディアの現状だ。国民の多数が憲法を改正したい、九条2項の削除などとはいっていないにもかかわらず、国会の多数を占める、自・公政権、民主の憲法調査会長枝野議員のような同調部分とで、とくに安倍内閣の策動ともいうべき戦後レジ―ムの変換、というバーチャルな「耳ざわりのよい言葉」が先行していくだろう。なんとか止めなくては!

 ちなみに現日本国憲法の生みの親とも言われるあの芦田均ですら、戦後の憲法制定の秘密会(第60回帝国議会)提出の原案では、九条の1項と2項を逆転させていたにもかかわらず、つまり、それだけ憲法制定に携わった人の反戦意識は強かったともいえるのだが、武器使用禁止が先にあって「その目的」のために戦争を放棄することになっていた(これは90年代になって始めて僕自身が調べて明らかになったことだが)。その第2項(本来は1項だった)をアメリカのフォーメーションの変化に合わせて改正(改悪)しようとする今の安倍内閣の策動は、だから、歴史的にも法的にも明らかに間違っているのである。いわゆる改憲論者の有名な学者に僕が直接糾しても“ONで残っている”事実は事実、“項目の入れ替えと芦田の当時の反戦意識”として認めざるをえないという。しかるに今の事態に対する責任は政治家にも、もちろんあるが、問題はマスメディアのだらしなさにもあるのであって、ちょっと調べればわかることをやらず、政治家を恐れて自主規制する現実主義者の「政治を避ける」ジャーナリストの態度にもあるともいえるのではないだろうか。またそのことは、本当の意味でのジャーナリストがわが国にいないということでもある。

 商売でない職責としての、真の医師のようなジャーナリストがいない。だからこそ僕は若い人、とくに学生に期待するのである。そしてオータナティブメディア、たとえば「九条の会」に最後の望みを託すのである。もはや病気なんぞしていられるものか。老人と若者と女性の結束で九条改定を阻止しようではないか!!なんでもやればできるのだ。いかなる理由であれ、やらないジャーナリストなど人間じゃない!(了)