岩下俊三/ブッシュの嘘がひき起こした殺戮連鎖からいかにして脱却できるのか/06/09/15


ブッシュの嘘がひき起こした殺戮連鎖から

いかにして脱却できるのか

 

岩下俊三(フリーライター)

1948年生まれ。慶応大学卒、パリ大学在学中から映画制作、BBC、フランス2などでテレビドキュメント制作に従事。1985年よりテレビ朝日をベースにニュースステーション、報道特別番組を制作、世界中の紛争地域を取材。大学講師(表現文化論)。


 

 小泉政権の五年半と9・11「事件」からの五年。我々は好むと好まざるとに関わらず21世紀というものが、いかに困難な世紀であるかをいまさらながら思い知らされている。というのも、この間に僕自身が各国の要人から末端の「テロリスト」と呼ばれる人々、つまり、なんとか押さえ込もうとする者たちと、それに抗う者たちの双方に会ってそれぞれの意見を直接聞いた限りでいえば、解決は残念ながら容易ではなく、また多くのきわめて複雑な多次元方程式を丁寧に解きほぐさなければならないと思えるからである。ゆえにブッシュ大統領がいうように問題を二十世紀のイデオロギー対立の構造に無理に閉じ込めるような(つまりイスラム自体をファシズムやスターリン主義になぞらえるような)、「抽象化」「単純化」こそが、かえってその解決を遠ざけてしまうものであると考える。

安全保障の概念がもはや対テロリズムへの「国家意思」の統一で乗り切れるような代物でないことは、すでに多くの国民の知るところであって、実際にテロの被害に遭ったイギリスやスペインですら、「大義なき戦争」を起こしたアメリカに追従した政権を否定しつつあるのだ。そして、そのアメリカのやみくもな軍事力行使の責任者・ラムズフェルドですら、ネット上に次々と現れる「国際テロ組織」の政治的プロパガンダに「負けている」と最近弱音を吐いている。つまりアメリカ国内外のマス・メディアをコントロールし、「テロからアメリカを守る」という歌い文句で、人権無視の強権を発動した「彼」ですら、やればやるほど、アルカイーダなどのブランドと「個のネットワーク」を強化させ、「ムジャヒディン(聖戦士)」の再生産に繋がっていくことにようやく気づき始めたということだ。

国家を超えたグローバリズムが多くの格差と貧困を生み、それがテロの温床になり、世界各地で「自生」した組織が、世界的にネットワークされ、その国の独裁政権(アメリカが「対テロ戦争」ということで容認した国家)に抗いつづけるという皮肉な結果を生んでいる。それはイラク戦争の目的であった「民主化」が中東に逆効果をもたらせているように、「人権」や「自由」も含めたかつてのアメリカのレジティマシーをことごとく自ら否定していくパラドックスから抜け出せないことを意味している。ではこうした「歴史の皮肉」すなわち最小の犠牲で目的を達成しようと(効率化=普遍的価値の強要)すればするほど事態が悪化する螺旋構造の蟻地獄からいかにして脱却すればいいのか?

マハトマ・ガンジーのような「覚悟」が必要

僕は、アメリカのネオコンといわれる人たちにも会ったし、実際、戦争遂行を進めている軍官僚にも会ったが、みんなこころ優しい感じの人たちだった。彼らは異口同音に米兵の犠牲を最小限にしたいといい、愛する人々を「死」に追い込むことを避けたいという。また「民主主義」とは実に困難な装置であって、本来ヒトは子供のときから「命令される」ことに馴れており、これを克服するには相当な「覚悟がいる」というのだ。また僕は同時期にイスラム戦士と名乗る人々とも話をした。みな人情に厚く、やはり愛するヒトを失いたくないから戦っているけれど、本音では平和な暮らしを取り戻したいという。共通していえるのは双方に善悪・正誤を超えた「ある覚悟」があり、その覚悟が結果的にヒトを殺し、自らも死ぬ「戦争」へ駆り立てているようだ。このストイックな「覚悟」は、まじめで一途であるがゆえに、言下に反論できなかった。そういう僕自身の個人的な感情の揺れと悔悟が実感としてあって、いまだに「欝」が治らない要因ともなっている。

しかし、敢えて「個人的な思い」だけでいえば、もはやあらゆる国家は無力であり、イデオロギーもまた然り。あるのは個人の「覚悟」のようなもので、それも実は「揺らいで」いるというのが戦場での偽らざる感想だ。この「正解」のない揺らめきは、これからわが国の憲法論議で、もっとも危険な部分であって、このふらふらしたココロに「断固たる」意思が入ったとき、あるいは「絶対」神のようなものが埋め込まれたとき、優しさが凶器になるのだろう、と思う。揺らいで優しいからこそ、弱いからこそ危険なのだ、と・・・・。安倍(新総理?)に初めて会ったとき、直感的にそう思った。

だから、僕は最近、安全保障の議論の際、よくいわれる「座して死を待つのか?」という問いに、きっぱり「そうです!」と答えることにしている。マハトマ・ガンジーのような「覚悟」なくして、もういままでの小賢しい理論では抗えないと思うからだ。なぜなら、いまや改憲勢力こそが、優しさと美しさをもった「やせたソクラテス」であり、暴力が繊細な衣を纏って危険なほど美しい姿をしているからである。安倍普三やコンディ(ライス国務長官)を見よ!そしてウサマ・ビンラディンの痩躯を見よ!何の危機感もなく既得権でぶくぶく太っていられるのは、今日、マス・メディアぐらいのものではないだろうか?覚悟してかかれ!おのおの方。スリムな相手は意外と手強いぞ。