岩下俊三/フリージャーナリスト/日本の「現実」を見つめ直す時/06/05/16


若いジャーナリストは今こそ立ち止まって

この日本の「現実」を見つめ直す時

岩下俊三(フリージャーナリスト)

1948年生まれ。慶応大学卒、パリ大学在学中から映画制作、BBC、フランス2などでテレビドキュメント制作に従事。1985年よりテレビ朝日をベースにニュースステーション、報道特別番組を制作、世界中の紛争地域を取材。大学講師(表現文化論)。


 

僕が「憲法9条は守るべきだ」というと、よく「君は“現実”を知らないのか?」と諭される。また、「それは机上の空論」であるともいわれる。しかし、幸か不幸か僕は、そういう人が反論の根拠としている“現実”に実際に遭遇し、直接“現実”の証言を聞いた経験がある。だからこそ、「戦争をすること」に反対しているのだ。

確かに一法学徒として「机上」では劣等生であったかも知れないが、少なくとも取材現場での“現実”に直面しながら「法の理念」の必要性は学んだつもりだ。したがって、今国会での、「9条改正」へつながる教育基本法の改正、「愛国心」の問題や人の心の内の自由を縛り上げる、市民運動を抑圧できる「共謀罪」などの諸法案には強い危惧を抱いている。

「共謀罪」は、あきらかに監視と密告の社会を作って、国民の目と耳を塞ぎ、言論・報道の自由を規制する邪悪なタクラミであるとしか思えない。しかし、ここでも「現実」には国際テロ抑止と国際テロ情報からの孤立を防ぐために、アメリカ、イギリス並みの法整備が急がれる、などともっともらしい「現実」離れした論理がまかり通っており、一部メディアもこれに同調している。なぜそうなるのか?実際に報道現場の若い記者に、会って聞いてみると、どうも最近では、ニュースの速報性が最優先され、通信機器が発達しているため、取材・検証をしないままで、政府発表をそのまま発信することが多いという。

若い記者たちがイメージできない「共謀罪」成立後の社会

送り手自身が「共謀罪」が実施されている社会がとんなものかイメージできないでいる。また諜報活動の「現実」を知らないため、逆に「現実」という便利な方便にストレートに納得させられてしまう。もしそうだとすれば、これは由々しき問題である。成果主義と「安全という規制」のため外国の紛争地域での長期取材が、いまは許されなくなって来たことが、どれだけわが国のジャーナリズムを劣化させてきたのか、それが、どれだけ危険なことであるか、はかり知れない。たとえ、そのとき何のスクープも取れなくても、地道な取材が必要なのだ。

実際に華々しい成果はなかったが、数々の長期取材の過程で、僕はかっての東ドイツ・ホーネッカー政権下での「秘密警察」に遭遇した。また僕は、世界に散在するいわゆる「テロリスト」や、逆にアメリカのCIA長官、その配下の諜報部員など、双方にインタビューした経験もある。そこで、一時情報の「現実」と、二次情報、とくに国家というフィルターを通した「現実」との著しい乖離を幾度も垣間見てきた。だからこそ「共謀罪」成立後の社会をイメージすることができるし、「テロ対策」という名目でどれだけ多くの無辜の民が犠牲になったかも知っている。だから、僕が若い記者にいいたいのは、たとえそのとき「無能」よばわりされても、そういう「不用の用」こそが大切なのだ。とりわけジャーナリストにとっては、時には立ち止まってじっくり考えることがとても重要だ。対峙しているいまの「現実」をいろいろな角度から捉えて、思考を深めることだ。

たしかに、経営的にいえば、トレンドに合わせることは、重要なことかもしれない。が、浅薄なナショナリズムやポピュリズムに便乗して即効性のある成果を望む前に、二次情報のいう「現実」が本当かどうか、自分の足で、自分の目で見て確かめる。愚直な取材の積み重ねを、先ずやるべきだと思う。実はそれが、いまや失われつつあるメディアの信頼性と公共性を回復させるもっとも早い道かもしれない。そうした努力なくして今のメディアが、政府がすでに周到に準備してきた「共謀罪」はじめいま、提起されている悪法に立ち向うのは難しいといわざるを得ない。