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近田洋一/ジャーナリスト/記事批評・東京新聞『元刑務官が語る死刑の現場』(片山夏子・署名記事)07/12/12

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親しいみなさまへ
  標記東京新聞(12月12日朝刊)、こちら特報部に『元刑務官が語る死刑の現場』(片山夏子・署名記事)が掲載されています。
 本人に宛てたメール(感想)を転送します。

 戦争と死刑制度はつながっている。兵士を戦場に送り出すのも、裁判・判決・施行、つまり制度としてベルトコンベアに人間を載っけるのも一緒です。 共通するのはシステムの中で欠落していく、ささやかな優しさ、小さな痛みの感覚です。
「日本国家」は痛みを伴う巨大な暴力を隠し通してきました。もはや遠慮は要らぬ!。
鳩山法務大臣の死刑執行発表は、高らかな国家の暴力行使宣言です。
9条改悪と根底でつながり「国家から国境を越えた人権擁護へ」という世界の潮流と逆行するのです。

 転送にあたり、記者の意向を確認した訳ではありません(公開してもいいつもりで書きましたから)。彼女に宛てた感想を一部省略、必要な箇所を手直ししたものです。この時期、とても重要な記事です。東京新聞をお読みください。手に入らなければ僕に住所、氏名ご一報を。

宛先は
〒333−0853
埼玉県川口市芝園町3−9−1114
近田洋一
です。BCCでご容赦を。
                    近田洋一

-今日の記事「元刑務官が語る死刑の現場」は、これまで読んだ新聞・放送、つまり、日常的に接するジャーナリズムの中で最もリアリティーのあるものでした。死刑がどういうものか。図解も衝撃的です。「押せ」5人一斉にボタン、というのも、かえって生々しい。
人間を機械化し、痛みを分散させる工夫かもしれないが、一時しのぎであり、これを「システム化」するのが、いかに非人間的か。殺す人と殺される人が向き合う現場。凄まじい葛藤。

> 僕たちは実際のところ、知らないのです。せいぜい、記録映画で見られるような「銃殺場面」、民衆に吊されたムッソリーニなど。いずれも「戦場」の延長線上にあるのです。システムとしての「死刑」はヴェールで覆われたまま、文字通り制度として戦場とつながっている。

>> ご存知の通り、マックス・ヴェーバーは「人を殺すのを唯一、束ねて委ねられているもの。それが国家だ」と述べています。戦争行為から死刑まで、国家が絶大な権力を握るようになった結果がどうか。大量殺戮の現代戦であり、イラク等で今も続いている。この暴力の連鎖を断ち切るための思想の立脚点が求められています。発酵源は多分、僕たち?の仕事・ジャーナリズムの現場です。

> すべての人はいずれ死ぬ。70過ぎての死刑囚に対する執行官の思い「老衰させてやればいいじゃないか」。心根の優しさが胸にジンときて涙をこらえるのに困った。人が本当に凶暴になるのは「ほんのちょっとの優しさ」が欠如したときです。今、時代が共有したいのはギリギリのところで暴力から自分を救い出す優しさ・痛みの感覚です。>> 片山さんが被害者対加害者という単純な2分法的思考・取材(記事化)に納得がいかず、そのために揺れ、苦しみ抜いてきたのを知っています。
記事から執行された方の死体を受け止め、抱きかかえる感覚が伝わってきます。多分、ぬくもりは残っているでしょう。生と死の境界線に読者を引っ張り込むのは、書き手としても苦しく、正直、覚悟のいる仕事です。お疲れさま、という通り一遍の言葉では言い表せない。> 不満はある。

> 「事実から出発する」のはいい。だが、なぜこの記事を「裁判員制度」に矮小化したのか。問われるのは死刑制度そのものではないか?。「情報開示」をすればいい、ということではないはずです。妙なバランス感覚は問題の本質を曖昧にする?。権力に対して言いたいことをズバリ言う。「確信犯」でなければ、記者やってられないよ!

☆追伸> 見たかも知れないが映画「サルバドールの朝」お勧め。
フランコ独裁政権下の実話。死刑執行シーンが強烈。ビデオになっているはず。

親しい皆さまへ
12月12日付東京新聞特報面24、25ページ8段中見開き記事。
「こちら特報部」を送ります。遠方の方からの「手に入れるのが難しい」「ぜひ読みたい」というのにお答えするのは紹介した僕の責任です。この時代、とても重要な記事です。裁判員制度もさることながら死刑は戦争行為とともに国家が権力を行使する正当事由とされてきました。これを禁じた憲法にも実は違反しているのです。EUをはじめ先進諸国では死刑制度は廃止され、お隣・韓国でも何年も執行されず、事実上廃止状態です。
先進国でこれを維持しているのは米国(洲によって見直しが始まっています)と日本だけです。世界が廃止の潮流に在るとき、「ばんばんやれ」と言わんばかりの鳩山法務大臣の発言と発表は極めて危険です。
死刑執行の現場を日常的に接するメディア新聞・テレビの報道として生々しく伝えたのは僕が知る限り今回の東京新聞が初めてです。現実を直視するのは苦痛です。だが目をそらし、覆い隠すことは許されることではありません。文科省が集団自決について教科書記述から変更、指示したkとに抗議して開かれた「沖縄11万人集会」で訴えたのはそのことです。
これに較べて、鳩山法相の死刑ベルトコンベア論、イラク、アフガン住民を巻き添えにして殺戮する「テロとの闘いは必要」とする給油継続新法。まるで言葉をもてあそんでいるようです。耐えられないのは目の前の残酷よりも「現実(存在)を漂白するその軽さ」です。
読みとって頂ければ幸いです。
記事の内容、見出し、体裁は以下の通りです。
本メールはBCCで送らせて頂きます。ご容赦を。

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                                                    近田洋一
(掲載面) こちら特報部

(メーンタイトル) 元刑務官が語る> 死刑の現場(右24面)
『押せ』5人一斉執行ボタン
『職務…でも、なぜ自分が』
『受け止め役』辞退許されず
以上3本が見出し。
(リード・横組み)  東京、大阪の両拘置所で7日、計3人の死刑を執行した法務省は初めて死刑囚の氏名を公表した。しかし、究極の公権力行使でありながら、死刑執行の実態はベールに包まれたままだ。「極端な秘密主義」と指摘される日本の死刑の実情と刑務官の心境を元幹部刑務官、藤田公彦(まさひこ)氏(61)に聞いた。(署名・片山夏子)

(記事本文の始まり)  天井付近の赤ランプがつく。「押せ!」。看守部長の声が響いた。壁に向かい横一列に並んだ刑務官五人が一斉に「死刑執行」のボタンを押す。藤田氏も夢中で右の親指に力を入れた。隣室から「プシューッ」という空気が抜ける鋭い音。踏み板がはずれ、死刑囚が落下したのだろうが物音一つしない。その静けさが不気味だった。

 一九七三年十月、藤田氏は二十八歳で大阪拘置所に配属。刑務官三年目に死刑執行係を命じられた。

 夜勤明けの朝。若い刑務官五人が看守部長から「待機」を言い渡された。前日、先輩が「刑場を掃除しておったぞ」と話していたことが頭をよぎる。まさか死刑執行−。職務と割り切ろうとするが動揺は広がる。「何で自分が死刑執行のボタンを押して殺さなきゃならないんだ。まじめにやってるじゃないか」。執行は勤務態度の悪い刑務官にやらせるのが通例だった。

 大阪拘置所の五つある執行ボタン(東京拘置所は三つ)は、ダイヤル設定で一つだけ執行に結びつく(当たり)仕組みだったが、半年ほど前、刑務官五人中一人がボタンを押せず、それが「当たり」だったため執行が手間取る“事件”があり、ほかの刑務官に番が回ってきたのだ。執行されるのは七十歳ぐらいの老人−待機中、噂(うわさ)が伝わってきた。「老衰させてやればいいじゃないか」。複雑な思いがよぎる。

 午前九時。管理部長に呼ばれ「死刑執行係を命じる」と正式に言い渡された。部屋では先に呼ばれたベテランが「これまでに十人もやっている。孫もできる年です。もう堪忍してください」と懇願していた。落ちた死刑囚の体を受け止める「受け止め役」を命じられたのだ。見るのも辛(つら)かったが命令は断れない。「ボタンを押せないなら(刑務官を)やめろということ。嫌なのは皆も同じ」

 老人の過去をこっそり調べた。仮釈放の時に身請け人を申し出た教戒師の妻子を殺し金を奪ったと分かり気持ちを切り替えるが、執行の十時までは長かった。刑務官仲間が黙りこくっている。「時間」になると、ふだん使わない西側廊下に五メートルおきに刑務官が並ぶ中、死刑囚が刑場に連れて行かれる。途中、世話をしてくれた刑務官に「お世話になりました」。刑務官は、ただただ、泣きながら頷(うなず)く。「十年も二十年も世話をしていれば情も移る。頑張れよとも言えない。見ていてたまらなくなって、執行のボタンのある部屋に逃げ込んだ」

 三畳ほどのコンクリート打ちっ放しの部屋。刑務官五人から執行の部屋は見えない。執行の指示をひたすら待つ。息詰まるような空気が耐え難かった。
(記事本文右面はここまで。以下はデスクコメント1段15行。

 

デスクメモ
 死刑がどうやって行われているか知らされずに賛否を問われても、法律家でない国民は答えようがない。EU、その他死刑廃止国から残虐だと指摘され続けているが、日本政府と最高裁は憲法三六条(拷問・残虐刑の禁止)違反ではないとの立場。堂々と執行場面を国民に情報公開して賛否を問えばよい。(隆)
(以上が24面)

 

 

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こちら特報部
元刑務官が語る 死刑の現場(左面) 
『自分が殺した』終生疑念
裁判員制度前にもっと議論必要
存廃より情報開示を
どっと疲れ

手当3千円
『死の尊厳』
傷つけずに
(以上が見出し)
(本文の始まり)  ボタンを押した後、刑場の地下に下りる。ぶら下がった死刑囚が見えた。医師の死亡確認まで約十二分。「よし」という医師の言葉を合図に、首からロープを外して棺(ひつぎ)の中に。わずかばかりの白い菊を顔の周りに入れる。
 奥の遺体安置所に運んで「ご苦労だった」と言われた時、どっと疲れが押し寄せた。三千円の手当をもらい、帰宅。落ち着かない。パチンコで瞬く間に使い切った。

 滋賀や京都の刑務所などを経て、九一年に保安課長補佐として大阪拘置所に戻り、九三年の後藤田正晴法相(当時)による死刑執行再開で二人の執行を見届けた藤田氏によると、大阪拘置所の刑場は約六十平方メートルのコンクリート造り。天井からロープが吊(つる)され、床に「バタンコ」と呼ばれる約九十センチ四方の踏み板。執行ボタンを押すと踏み板が開き、死刑囚が落下する。

 死刑囚は執行部屋の隣室で、希望する宗教の祭壇前で最後の祈りをし、僧侶の経文などが終わると、目隠し、後ろ手錠に。執行部屋のカーテンが開き、バタンコの上に連れて行かれ、首にロープ、両足に手錠を掛けられる。

 「手足がばたつかないよう手錠を掛け、落下時に自然に頭を垂れるよう、ロープは継ぎ目が首の横になるように掛ける。死の尊厳を傷つけないようにと教えられた。残虐性を少しでも和らげようとするのもあるのだろう」と藤田氏。ロープで擦(す)れないよう、首にあたる部分は革製。「最後に言い残すことはないか」。問いかけた後、執行。落下後、大きく揺れる体を下の「受け止め役」が抱いて止める。

 「執行ボタンは五つ。ダイヤルで『当たり』が設定され、誰が当たったか分からない。確率は20%だが、自分だったのではという疑念は終生、離れない」

 先月、衆参国会議員二十四人が東京拘置所を視察した。「死刑廃止を推進する議員連盟」の保坂展人衆院議員らは、死刑執行の言い渡しが執行数分前であることや、執行中はカーテンで遮断するため、刑事訴訟法で立ち会いが義務づけられた検察官などが立つバルコニーから見えないことなどを指摘した。

 藤田氏によると、死刑囚への執行言い渡しは、かつては前日だったが約十五年前、当日に変わった。「死刑囚の大半は家族と関係が切れている。まれに家族と絆(きずな)が残る場合は連絡して最後のお別れをした。だが、言い渡し後、自殺しないように一晩中見張る『対面戒護』の刑務官は眠れない死刑囚を見守り、たまらない辛さだったと聞く。執行を引き延ばそうと再審請求の書類を用意していて、言い渡されると出すこともあった。それらのことが重なり、即日になったのだろう」

 即日言い渡しになってからは、独房から死刑囚を連行し、検事取調室で所長が執行を言い渡し、直後に刑場に向かう。遺書は日頃(ひごろ)から書いておくよう指導する。家族には事前に知らされない。「家族との最後の面会については配慮があってもいい。言い渡しから執行までが長いことは本人にとっても刑務官にも辛い場合が多いが」

 死刑廃止か存続か。終身刑導入も含めて、さまざまな議論が出る。死刑廃止・停止国が増える中、今回の執行には国連人権高等弁務官が即日、日本の死刑執行は国際法上問題であるとして執行停止や廃止を求める声明を出した。二〇〇九年の裁判員制度開始後は一般市民が死刑を決める。

 「法に則(のっと)って執行しているのだから、刑場や執行の仕方は情報開示すべきだ。国が行う刑なのだから情報開示する義務があり、被害者や国民は正しく知る権利がある」。藤田氏は鳩山邦夫法相の死刑囚名公表を評価する。「死刑は生命を奪う究極の刑。冤罪(えんざい)の可能性も否定できない。だが、終身刑を導入したら、ただでさえ刑務官が少ない中、どうなるのか。存廃論議の前に、現場の実情や問題点を知るべきだ。まずは刑場やどのように死刑が行われているかを情報開示すべきです」(記事はここで終わりです)

注) 大阪拘置所内の死刑執行の様子を語る藤田公彦氏と死刑執行時の氏名公表に踏み切った鳩山邦夫法相の写真がついています。東京拘置所の刑場見取り図は、はがき大プラス1・5cmの横長です(添付図解参照)。

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