吉田好一/元出版労連副委員長/与党(自・公)の単独強行採決  実質審議ゼロの教育基本法改悪に思う / 06/12/27

 


 

 

与党(自・公)の単独強行採決
実質審議ゼロの教育基本法改悪に思う
                        

吉田好一(元出版労連副委員長)

「60年安保を思い出しながら・・・」
 12月15日(金)午後5時50分、参議院本会議で教育基本法改悪法案が成立した。座り込みを続ける隊列から少し離れて、議員面会所のテレビを見ていた。賛成132票,反対99票だった。
 改訂賛成論者を含めて、世論調査でも、また参考人、公述人の多くが慎重審議を求めるなか、強行採決されたのである。
 直ちに議員会館前の歩道で「教育基本法改悪を許さない各界連」主催の抗議集会が開かれた。日本共産党国会議員団の報告、決意表明があった。志位委員長の総括的発言は、この闘いのなかで、少数ながら共産党の果たした役割が大きかったことを改めて感じさせられた。座り込みや何回も開かれた集会に参加し、国会の傍聴もした。その間、国会の周辺を歩きながら、1960年の安保闘争を思い出した。あの時、国会は連日何万人もの人々が包囲した。正面前で、炭労の労働者がヘルメットをかぶってジグザグデモをしていた。6月15日には国会の中に突入したし、自然成立の日、深夜まで首相官邸脇に座り込んだ。
 今回の教基法の闘いは、教育問題という難しさがあったにもかかわらず、全国的に大きな盛り上がりがあった。とはいえ、60年安保の闘いに比べると、その規模ははるかに及ばない。40年間の労働組合や民主勢力に加えられた分裂と弾圧の歴史にも思いを馳せた。
 それにしても、A級戦犯容疑者、岸信介首相のもとに行われた新安保条約強行採決と、その孫の安倍晋三首相の強行採決に立ち会うとは何の因果か、と思わざるを得なかった。

むなしい審議と醜悪な新教基法

 僕は5月24日、26日、10月31日、12月5日、12日の5回、衆・参教基法特別委員会を傍聴した。都合25時間ほどである。衆議院で106時間、参議院で84時間、計190時間審議したと、自・公は言う。
 自・公は60〜70回の秘密討議を経て与党案を提出した。民主党は多くの議員が、日本会議がつくった「国会議員懇談会」や「教基法改正促進委員会」のメンバーになり、自公とともに議論に参加したが、与党案提出で裏切られ、民主党案を提出した。
 政府は、全国15ヶ所でタウンミーティングを開いた。この膨大な時間と労力を費やして行われた審議とは、いったい何だったのか。僕の友人は、「一度特別委を傍聴したが、実にくだらないので二度と行く気はしなくなった」と言う。国民新党の亀井議員も、参議院の特別委で「むなしい」と何度も言っていた。
 たしかに変える必要のない教基法を変えるため屁理屈を並べたて、それをめぐって議論していた。その意味では、実に無駄な議論が多かったのである。
 「やらせ」「さくら」という醜悪な日本語を流行らせて成立させた、教育の憲法といわれる新教育基本法はこれからどのように作用するのか。安倍首相は責任をとって給料から100万円を返納したという。冗談ではない。この間の無駄を金に換算すれば莫大な金額になる。新教基法改定案を撤回すべきなのである。しかし考えがそこへ及ばないところが、安倍の本質なのだろう。安倍アナクロ強権政治の誕生と指摘している人もいる。
 

これからは「狂気法」?
 

この審議のなかで、すぐれた意見や質問もあった。参考人、公述人が多くの問題点を指摘した。
 5月24日、共産党志位議員が、福岡での通知表で子どもの愛国の信条を評価していることを取り上げ、小泉首相にその非を認めさせた。その後、二百数十の学校で同様の通知表が作成されていることが明らかになった。
 10月31日に、共産党高橋千鶴子議員がはじめて「タウンミーティング」でのやらせ質問を取り上げた。この日は「理事会で検討する」ことになったが、その後ご承知のように大問題になった。
 たまたま、この2回の特別委員会を傍聴していたこともあり、わずか衆・参各9名しかいない共産党議員の活躍に感心した。
 教基法改悪強行採決後も、多くの人が暴挙であると発言している。安倍首相の悲願である「戦後レジューム(体制)からの脱却」の重要な一歩だったようだ。「戦後」は何十年でも続いたほうがよい。できれば永遠に、と思っているのだが、安倍氏らは「戦前へ回帰」しようというのだろう。「やらせ教基法」という人もいるようだが、憲法改悪への地ならしであり、戦争への道を開くという意味では、「狂気法」というのがふさわしいのではないだろうか。