隅井孝雄/ジャーナリスト/私が小学生だった頃、「あたらしい憲法のはなし」があった/06/04/29


私が小学生だった頃、「あたらしい憲法のはなし」があった

 隅井孝雄/ジャーナリスト

                          

私が小学校6年生の秋、教室で真新しい小型の教科書が配られた。奥付に2円50銭とあるから買ったのかもしれない。1947(昭和22)年である。表紙は黄色と白の二色刷り。朝日を浴びた国会議事堂が光り輝いているデザインだったことを今でも覚えている。黒い活字で「新しい憲法のはなし、文部省」とタイトルが書いてあった。

 中井先生という名の担任の教師がその本を片手に内容を解説、一通り話し終わると作文を書いてくるよう宿題を出した。中井先生はいつも戦闘帽をかぶっていたから復員軍人であったような気がする。

 私は東京高円寺で生まれた。小学校が国民学校と名を変えた年、一年生になった。小国民は軍歌を歌いながら行進しているような足どりで学校に通った。やがて上空にアメリカの銀色の爆撃機がきらきらと輝いて飛来し、敵機来襲という警報がひんぱんに出されるようになると、母の故郷である岡山県の山奥の町、高梁に疎開した。さつまいもやかぼちゃをわずかなお米に混ぜて炊いたご飯を食べ、芋の茎をいためておかずにした。

戦争が終わって東京に帰ってくると中野区大和町のどなたかのお屋敷の一室を借りて住んだ。そして妙正寺川沿いの大和小学校に転校した。高円寺の家は強制取り壊しで影も形もなかった。遊びに行った新宿は瓦礫で、三越、伊勢丹のビルがそのままだったのが不思議だった。映画館の帝都座が残っていた。そこで映画を見た。チャップリンだった。

 小学校4年のときは教科書に墨を塗った。軍国主義的な記述は進駐軍に怒られると言う説明だったが、歴史の教科書は墨では間に合わなくて、習字の半紙をページごとに貼り付けて見えなくした。残ったページはわずかだった。5年生になると新しい教科書が配られたが、それは印刷したままの全紙大の大きさのザラ紙で、それをB5ぐらいに折りたたんでところどころにはさみを入れると不思議にページが一から順番に並んだ。

 「新しい憲法のはなし」はそうした学校生活の中でおそらく始めて目にした製本された冊子で、しかも色刷りの表紙だったからまばゆく見えた。私は家に帰って鉛筆をなめなめ感想文を書いた。「記章を見ればどこの学校の生徒かわかるでしょう。目に見えないものを何か目に見えるものであらわすのを象徴といいます。憲法第一条は天皇陛下を日本の象徴としていますが、つまり天皇陛下は日本国をあらわされるお方ということです」という説明に子供心に納得した。「くうしゅうでやけたところでも草が青々生えています、まして人間は天からさずかった自然の力、生きていく力があります。人間が生きていくことはだれにもさまたげられませんが、草木とちがって人間らしい生活をしてゆかなければなりません」という基本的人権と、生存権の保障の説明には胸に落ちるものがあって感動した。

 一番印象に残ったのは戦争放棄と書いた大きな釜の中に戦車や軍艦や飛行機や爆弾をいれ、その中から電車や船や消防自動車や鉄塔が光り輝いて出てくるイラストだった。その脇の説明には「日本の国がけして二度と戦争をしないことをきめました。軍隊も軍艦も飛行機もいっさいもたない、陸軍も海軍も空軍もないのです。戦力の放棄とはすててしまうことです」とあった。「しかし心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことをほかの国にさきがけておこなったのです、正しいことほど強いものはありません。よその国となかよくして、世界中の国がよい友だちになってくれるようにすれば日本の国はさかえてゆけるのです」という記述を見て小学生の私はここに世界の人々の理想があると心が燃えた。

 私より少し年上の石原慎太郎氏も「あたらしい憲法のはなし」を同じ頃中学校で習ったと思うのだがおそらく記憶に残っていないのではないか。そうでなければ外国や外国人にいつも喧嘩を売るような発言は出来ないのではないかと私は思うのだが・・。

 私が書いて提出した作文の内容は覚えていない。しかし11月5日の憲法発布一周年にあわせて、中野区だか東京都だかでコンクールが行われ、私の作文が優秀賞をもらったと先生から聞かされてとても嬉しかった。表彰式に出席したはずだが記憶はない。賞状をもらったことはよく覚えているが今は残っていない。作文そのものがどこかに保存されていないか探し出してみたいという誘惑にしばしば駆られる。

 「新しい憲法のはなし」では「いくさをしかけることはけっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるのです」、「戦争までいかなくても相手をおどすようなことは一切しないことを決めたのです、(憲法では)戦争ではなく、穏やかに相談してきまりをつけよというわけです」と書いていることをもう一度改憲を主張し、自衛隊を軍隊に変えようと主張する政治家たちにも読ませたい。

 作文を書いてからまもなく60年になる。憲法9条は私の原点であり人生のよりどころである。

 付記

 新しい憲法の話は1972年に日本平和委員会が復刻版を出した。今でも手に入ると思う。

http://homepage3.nifty.com/yeonso/edu6.htm←「あたらしい憲法のはなし」全文