橋本 進/ジャーナリスト/共謀罪のおそろしさ―横浜事件が示すものー/06/06/02


 

共謀罪のおそろしさ―横浜事件が示すものー

橋本 進(ジャーナリスト)

横浜事件再審裁判を支援する会事務局,日本ジャーナリスト会議前代表委員。

4名もの獄死者をだした戦時下の大言論弾圧事件=横浜事件は、被検挙者に対する凄惨な拷問で知られる。戦後、被害者たちは拷問特高(特別高等)警官を告発、警部と2名の警部補の有罪が1952(昭27)年最高裁で確定した。本年2月、毎日新聞横浜支局の記者が、元警部補の一人(92歳)にインタビューをした(2月20日付横浜版)。

驚くべきことに、地裁、高裁、最高裁で拷問事実を認定されたこの元警部補は、全く身に覚えがない、と言ってのけた。そして、被検挙者たちに「犯罪事実」は本当にあったのか、という記者の問いに、当然あった、「彼らはしょっちゅう会っている。当時の法律では自分の思想をだな、お互い話し合う、啓蒙し合うことが犯罪なんだから・・・・・・」と答えた。話し合っただけで罪になる! これは元警部補の思い違いか、誇張であろうか。そうではない。現存する横浜事件のいくつかの判決をみると、当局が目星をつける人物が他の人物(単数、複)と話し合うと、「相互ニ(共産主義)意識ノ昂揚ニ努メ」「同志的結合ノ強化ニ努メ」たことにされ、治安維持法の目的遂行罪の「犯罪事実」として列挙されているのである。こうして壮行会、編集会議、還暦祝いの席等すべてが、共産主義活動の場、犯罪事実とされたのである。最も有名なのは、政治学者・細川嘉六氏が研究者、編集者を郷里の富山県泊町の旅館に招いた宴会を、共産党再建の共謀会議だとし、会議内容まで捏造した事件である。これまた驚くべきことに、敗戦時に行われた裁判では、戦犯追及をおそれた裁判官がこの事件を全面的に削除して、その前後の「犯罪事実」だけで有罪の判決をした。

さらにひどい例がある。獄死した和田喜太郎氏(中央公論編集部員)の有罪判決理由は、畑中繁雄編集長と、共産主義者である除村吉太郎氏他2名の論文執筆を相談し、依頼したこととされている。そして懲役2年の実刑を課された。ところが和田氏が在籍した時期の『中央公論』誌には、右3氏の論文は影も形もないのである。和田氏が畑中氏と実際に相談したか、しなかったかも証拠だてるものはなにひとつない。とにかく共産主義者に執筆させようという「共謀」があったときめつけられ、それが犯罪だとされたのだ。この方式をあてはめれば、あらゆる編集会議はみな「共同謀議」の場とされ、有罪とすることができる。実際、横浜事件においては、改造や中央公論の編集会議はそうしたものとされ、両社は1944(昭19)年7月、解散に追い込まれた。特高は「改造社並びに中央公論社内左翼グループ事件」と称した。

治安維持法は、「潜在意識」、ひとの心の中まで推測し、これを罰した稀代の悪法である。いま登場している共謀罪案もまた、犯罪を話し合った(とみなされた)だけでも罰せられる、きわめて危険な法律である。「目配せ、うなずきなど身体的サインでも共謀は成り立つ」(法務省)というのである。

いま日の丸・君が代の強制など、権力がひとの内面にまでずかずかと踏み込み、支配しようとする動きが強まっている。共謀罪もその一つである。自己の内面まできびしく統制された軍国ファシズムの悪夢を知る私たちは、こんな法律を許すことはできない。